20.09.20 永遠の喜び

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「創世記21:5-6 アブラハムは、その子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった。サラは言った。『神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。』」

イグノーベル賞

 9月に入り暑さもやっと和らいできました。今月はイグノーベル賞の授賞式がアメリカで行われます。これはノーベル賞のパロディーで、「イグノーベル(ignoble)」は「不名誉な」とか「下品な」という意味です。「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる業績」や風変わりな研究に贈られる賞です。賞状はノーベル賞受賞者から渡され、賞金はなし、参加も自己負担です。授賞式のスピーチは、短時間でいかに会場を笑わせるかがポイントで、1分を超えると、8歳の女の子が「たいくつなの」と止めに入ります。今年で30回目を迎えますが、日本人は継続的に受賞しています。
 たとえば、1997年には「たまごっち」開発者が「数百万人分の労働時間を仮想ペットの飼育に費やさせたこと」で経済賞を、2011年にはある企業の理事長が「火災など、緊急時に眠っている人を起こすのに適切な空気中のわさびの濃度発見と、これを利用したわさび警報装置の開発」で化学賞を受賞しています。受賞理由を聞いただけで、笑ってしまうものばかりです。

笑うと健康になる

 近年、笑うことが心や体に良いということが、医学的に実証されつつあり、病気の治療においても注目を浴びています。人の体には、若くて健康でも1日3000~5000個ものがん細胞が発生しているそうですが、これを退治するのが、ナチュラルキラーという細胞です。体内に50億個あると言われており、この働きが活発だと、がんや感染症にかかりにくくなるそうです。私たちが笑うとナチュラル細胞を活性化させます。すると、がん細胞やウイルスなどの病気のもとを攻撃するので、免疫力が高まるそうです。逆に、悲しみやストレスなどマイナスの情報を受け取ると、ナチュラル細胞の働きが鈍くなり免疫力が低下します。その他にも、笑うとエンドルフィンという脳内ホルモンが分泌されますが、この物質は幸福感をもたらし、痛みを軽減するそうです。
 笑うのが嫌いという人はそれほど多くはないと思いますが、多忙な日常生活の中で、いつの間にか笑うことを忘れていた、ということはあるのではないでしょうか。笑いと健康の関係を知ると、積極的に笑いを求めることは大切だと思わされます。

笑いを下さる神

 神様はアブラハムに現れ、妻のサラについて「わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。(創世記17:16)」と言われました。しかし「アブラハムはひれ伏して、笑った。(同17節)」と記されています。100歳の自分と90歳の妻に子が生まれるだろうか、と疑う苦笑です。その後、御使いが現れて、来年の今ごろ「サラには男の子が生まれています。(同18:10)」と預言した時、サラも心の中で苦笑しました。しかし御使いは、「主にとって不可能なことがあるだろうか(創世記18:14)」とサラをたしなめました。後にサラは、御使いの預言の通りにみごもって男の子を生みます。その時サラの心は喜びにあふれ、冒頭の聖句ですが「神は私に笑いを下さいました。」と言いました。神様はアブラハムとサラの苦笑を、神様への感謝と喜びから生まれる本当の笑いへと変えてくださったのです。神様は、私たちに喜びを与え、笑いを与えて下さる方です。

永遠の喜び

 聖書は、「いつも喜んでいなさい。(第一テサロニケ5:16)」と言います。喜びには笑いがともないますから、笑うことは神様のみこころです。私たちは、おもしろいことを見たり聞いたりすると笑います。お笑い番組はとても人気があります。漫才やコントを見て大笑いすると、気分もよくなります。実際、「お笑い」は病気の治療にも用いられているようです。また、家族や気の合う仲間と楽しく過ごす時も、そこには必ず笑いがあふれます。しかしみことばは、「いつも喜んでいなさい。」と命令しています。「いつも」ということは、笑う気分でない時も、喜ぶことが何もない時も「いつも」ということです。
 神様が私たちにくださった最大の喜びは「福音」=良い知らせです。イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったので、私たちは罪赦され、永遠のいのちが与えられました。日常生活は、楽しいことばかりではありません。お笑い番組も楽しい団らんも、束の間の笑いでしかありません。しかし福音を信じる者には決して揺るがない喜びがあります。神様はすべてを益としてくださると知っているからです。イエス・キリストを信じることこそが、永遠の喜びなのです。「今泣いている人たちは幸いです。 あなたがたは笑うようになるからです。(ルカ6:21)」

20.09.13 幸せに生きられる道

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「Ⅰペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。」

幸福度ランキング

 先日ニュースで、2020年の「都道府県幸福度ランキング」が発表されました。これは「日本総合研究所」という研究機関が独自にランク付けしているもので、健康、仕事、教育など各分野ごとに、国の統計に基づいて分析し、2年に一度発表しています。1位は福井県で、2014年から4回連続で日本一になりました。その要因として、仕事面で女性の就業率が高いこと、また教育面では不登校児童が少ないことや待機児童率が低いことが挙げられています。県民へのインタビューでは、「以前東京に住んでいたが、東京よりも地域のつながりを感じるし、まわりの人もみな優しいと感じる」という声や「自然も多く子供を育てる環境としてはいい」という声がありました。県も「日本一幸せな県」を全面に押し出しPR活動をしています。
 今、東京や大阪など都会から移住して来る人や問い合わせが増えているようです。福井県に住めば幸せになれるかのようなイメージを持ってしまいそうですが、日本一幸せな県というのは、あくまで生活のしやすさなどの環境が整っているという話であって、県民一人ひとりが幸せかどうかはまた別の問題です。研究所も「自分の住む地域の特徴や課題を客観的に知るきっかけにしてほしい」と言っていて、地域活性化のために役立てることが目的となっています。

楽しいから幸せなのだろうか

 では、私たちにとって幸せとは何なのかということを考える時に、多くの場合、自分にとって楽しいことや嬉しいことが起こるときに幸せを感じると言います。家族や友達と旅行などで出かける時や、自分の趣味を楽しんでいる時、テストや試験に合格した時、周りの人から愛されていると感じる時など、そのようなことが次から次へと起こるときに「幸せだと感じる」と言います。つまり、楽しい出来事が起こる時は幸せで、それが過ぎ去ってしまい、楽しいと感じなかったり、苦しい出来事が続く時は、幸せとは思えないということです。
 他にも、ものが豊かにあって、欲しい物をいつでも自由に買うことができるだけの経済力があるとか、豊富な知識や知恵があって何でも要領よくやってのけるだけの能力があるとか、そういった能力や安心できる何かがあることで幸せになれると言う人もいます。しかし、それらのものはすべて外的なものであったり一時的なものでしかなく、取り去られたり、過ぎ去ってしまえば、幸せではなくなってしまうということになります。

キリストに望みをおく

 私たちは、私たちの主であるイエス・キリストに望みを置かなければなりません。どこの国に住んでいても、どんな生活をしていようとも、私たちの生活には、仕事のことや家庭のこと健康のことなどの問題が日々起こります。苦難や困難な状況におかれるとき、「この大変な状況から逃れることができれば、もっと楽しく明るく生きられる」という所に望みをおいたり、「今は苦しいけれど歯を食いしばって我慢して、これを乗り越えることができたら、楽しいことが待っている。」という所に望みをおいたりしているかもしれません。
 しかし、イエス・キリストを信じた私たちは、この苦しみの中にあって望みを抱いて生きることができるのです。「今経済的にとても苦しい。この先どうなるか分からない。収入が途絶えれば生活できなくなってしまう。」という状況に置かれていたとしても、「主は必ずこの不足を満たしてくださる方、善きことをなされるお方なので、何が起こっても私は主にだけ信頼します。」という望みを抱いて生きることができます。仕事でなかなか事が前に進んで行かず、「とてもできるとは思えない」という状況に置かれるときに、「主は耐えることのできない試練はないと言われる。脱出の道を備えてくださっている。必ず主に答え、解決がある」という望みを持つことができます。

今幸せになれる

 イエス様は「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。(ルカ17:21)」と言われました。信じる者のうちに神の国はもうすでにあると言います。神の国は、主への賛美であふれ、祝福にあふれ、喜びで満ちあふれている場所です。痛みも苦しみも、死も病もない場所です。その神の国が信じる私たちのうちにあるのです。今私たちが、心の中に主のご支配を迎え入れて心の王座を主に明け渡す時に、私たちの心には主への賛美と喜びがあふれ、主の祝福にあずかることができます。今幸せになることができます。すると、人と話をすることが楽しいですし、働くことが楽しくなります。ご奉仕することが楽しくなります。何をしても喜びを感じることができます。私たちは主にあって今幸せになれるのです。主を心に迎え入れる決意をして前進してまいりましょう。

20.09.06 神様のご計画

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「エレミヤ29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

インド門の写真

 先々月、新聞に掲載されていた二枚の写真が目に止まりました。インドの都市、ニューデリーの観光名所「インド門」の写真です。1枚は、青空を背景に、褐色のインド門がくっきりと見える、きれいな絵はがきのような写真で、もう1枚は、大気汚染によるスモッグのために、目を凝らして見てやっとインド門がうっすらと影のように見える、まるで白黒のような写真です。説明を読まないと同じ場所の写真とは気づかないほどです。青空の写真は今年の初夏、スモッグでかすんでいる写真は昨年の秋頃の写真だそうです。
 コロナ禍で、外出や営業の規制が行なわれているため、二酸化炭素の排出量が劇的に改善しているのだそうです。インドの都市は以前から世界一大気汚染が深刻で、視界が悪くて飛行機が欠航したり、車の通行を規制したりしていました。しかし今回のコロナ禍で思いがけず、目ではっきりとわかるほど大気汚染が改善したのです。ほかにもヨーロッパでは、観光客が激減したため、ベネチアの運河など、河川の水質が改善しているそうです。

誰にも止められなかったこと

 コロナ禍では、ほかにも今まであり得なかったできごとが起こっています。たとえば、外出自粛要請が出たため、テレワークや会議ソフトを使った働き方が広がりました。最初は仕方なく始まったことでしたが、始めてみると思いがけず便利で、経費も削減できることがわかり、積極的に取り入れようとする動きも出ています。今まで都心に広い事務所を借りてた企業が、社員が出社しなくても支障のないことがわかって事務所を解約し、もっと有益なことにお金を回すことができるようになったとか、何時間もかけて満員電車で都心に通勤していた人が、自宅で仕事ができることがわかり、もっと環境のよい地方の県に移住するということが起きています。人口の流出に悩んでいた地方の県でも、移住する人々を喜んで歓迎しています。都心への人口集中は、災害時のパニックが予想されるなどの問題が指摘されていましたが、今まで誰にも止められなかったのです。大気汚染なども同様です。それが今回コロナ禍で揺さぶられ、何かが動き始めていると、多くの人が感じているのではないでしょうか。少なくとも人々が今まで後回しにしてきた問題を考え直す機会となっていることは、確かだと言えます。

人にはできないことも神にはできる

 イエス様が弟子たちに、金持ちが天の御国に入ることは難しい、と教えた時、弟子たちはたいへん驚いて、「それでは、だれが救われることができるでしょう。(マタイ19:25)」と言いました。イエス様は、「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。(同19:26)」と答えられました。
 たとえば、人は誰もが生まれながらの罪人ですから、人が人を罪から救うことはできません。しかし神様は人を愛してくださり、人を救うためにイエス・キリストを人として地上に送ってくださいました。イエス・キリストが人の罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったことを信じるだけで、人は罪が赦され、天国に入ることができるのです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」。神様は、人には決してできないことを為し遂げてくださる方です。

神様のご計画

 神様は主権をお持ちであられます。コロナ禍のさまざまな事象もすべて神様のご支配の中で起こされていることです。そして、ご自分のひとり子を犠牲にしてくださるほど私たちを愛してくださった神様は、必ず私たちに良いことをしてくださる方です。
 しかし、ときに私たちは、これのどこが良いことなのか、理解できないことがあります。コロナ禍では世界中で多くの方が亡くなりました。今も重体で苦しんでおられる方が大勢おられます。人の移動が縮小されて、経済も大打撃を受けています。しかし神様がこの事態を用いて、ご自身のご計画のために、地球上のすべての人間を揺り動かしてくださっておられることは確かです。そして冒頭のエレミヤのみことばの通りに、神様のご計画は、私たちがもっと平安に、もっと幸せになるためのご計画です。ですから私たちは決してむやみにうろたえる必要はないのです。神様のなさることをほめたたえ、神様からいただく知恵を用いつつ、ただ静かに神様のなさることを見て参りましょう。

20.08.30 世に勝つ者となる

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「ヨハネ16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」

つらく悲しい世の中

 毎年8月になりますと、必ず「今年は戦後何年になりました」というニュースが報道されますが、今年は戦後75年ということで、特集番組も放送されていました。その中で、戦時中の様子を日記として綴った作品で、「戦中派不戦日記」という本があります。山田風太郎という小説家の作品ですが、彼は当時23歳で、病気を理由に召集を見送られ戦場に行くことはありませんでした。医学生として過ごした当時の日常を日記としてまとめました。
 この作品は今も多くの人に読まれている作品ですが、今この作品を漫画化したものが反響を呼んでいると話題になっています。作者は、少女漫画家として活躍している勝田文(かつたぶん)さんという女性です。「つらくて悲しい世の中、せめて漫画くらいは楽しく読んでほしい」というのが、彼女の漫画家としてのスタイルであり価値観だそうです。今回、戦時中をテーマにした漫画の依頼に「戦争ものは描けない」と最初は戸惑いがあったそうです。しかし、「ここ数年感じていた、何か世の中の不安な雰囲気が、当時の雰囲気と変わらないなって思った。ずっと心に感じていた何かがあったので、描けるかもしれない」と感じて依頼を受けたそうです。
 今世の中は、コロナ禍にあって、景気も後退し、この先どうなるのか全く予測がつかない中で、人はみな、「このままではいけない。何とかしてこの暗い雰囲気を明るくさせなければならない。」という希望が持てることや、明るくなれること、喜びを感じることができる何かを求めているのではないかと思います。

世は労苦とわざわいで満ちている

 詩篇には、「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは 労苦とわざわいです。(詩篇90:10)」とあります。私たちが生きている世の中は、確かに労苦やわざわいがほとんどであります。私たちは、一日の大半、一週間のほとんどは働いて過ごしています。その労働は、この世に罪が入り込んだことによって苦しみとなり、額に汗を流して糧を得るようになりました。そして、世の中はわざわいで満ちています。コロナ禍にあり、異常気象があり、国と国は対立し、人種差別がずっと続いています。テレビをつけると毎日のように、殺人事件や不正、賄賂、横領といったニュースを目にします。
 私たちの生活の中でも、自分の仕事が思い通りに行かず悩み苦しむことが多くあったり、体が痛みによって思うように動かすことができなかったりすることや、人との関係が上手く行かなくて悩んでいることもあると思います。「そんな暗い雰囲気を何とかして明るくしなくては」と思い、人とワイワイ楽しく話したり、遊んだりしてストレスを解消させて、次から次へと襲ってくる問題や心の声に負けまいと必死になって打ち勝とうとしています。

主は世に打ち勝ってくださった

 しかし私たちは、この世の中にあって主に信頼しなければなりません。主は、この世の罪、死、苦しみ、痛みのすべてに打ち勝ってくださいました。十字架にかかられて私たちの罪のための身代わりとなって死んでくださいましたが、三日目に死からよみがえってくださいました。そのお方は今も生きて働いておられ、信じる私たちのうちに住んでくださっているのです。主の復活があったので、私たちは罪贖われて、主にある勝利を手にすることができる者とされました。つらく悲しい世の中にあっても、勝利して生きることができるのです。「私にはできないかもしれない」という敗北感、「この先のことを考えると不安で仕方がない」という閉塞感や心配、恐れに打ち勝つことができるのです。自分の思いをすべて主にお任せして生きる時に、主は私たちを敵の攻撃から守ってくださいます。 主は、この世にいる敵である悪魔、サタンよりも力があるお方です。「あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。(第一ヨハネ 4:4)」。ですから、主に信頼する者は守られるのです。

祈りによって勝つことができる

 私たちが世に勝つ者となるためにすることは、祈ることです。仕事よりも家事よりも、良い人間関係を築くことよりも、何よりも祈ることが優先すべきことでなければなりません。祈りによって、敵に勝利することができます。敵は、私たちが勝てるような相手ではありません。アダムとエバが、エデンの園で蛇にそそのかされたように、敵はとても巧妙な手口で私たちを騙そうとしてきます。私たちの力で太刀打ちできるような相手ではないということを知らなければなりません。
 ダビデは主に信頼したので、苦しみの中にあっても、自分のうちにある叫びを主に申し上げて祈ったので心が守られました。「主よ、私のこの叫びを聞いてください。」と切実に訴えかけました。もし、ダビデが祈っていなかったら、彼の心はズタズタになって立ち直れないほどになっていたことだと思います。
 私たちも、毎日問題が起こります。お金のやりくりで困っていることや、人から誤解されることや、仕事でのトラブルで翻弄されてしまうことなどがあると思います。そんな倒れてしまいそうな状況にあっても、祈ることによって、ズルズルと後退することなく心が守られます。祈ることで「主が解決して下さる」という信仰が与えられ、前を向くことができます。祈ることによって、私たちはこの世に生きる者として圧倒的な勝利者となれるのです。

20.08.23 主は避け所

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「詩篇91:1-2 いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。『私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神』と。」

木陰の涼しさ

 数年前、ある観光地でロープウェイに乗り、小高い山の上に登りました。初夏の頃で天気もよく、景色は素晴らしかったのですが、日差しが暑くてゆっくり眺めていられず、早々に大きな木の木陰に入りました。そしてそこにあったベンチに腰をかけたら、そこは別世界のように涼しく、その温度差にびっくりしました。木陰を一歩出るとまた元の暑さですから、この大きな差はなぜなのかと、とても印象に残りました。それまでそれほど日陰を気にしていませんでしたが、それ以来意識して、暑いときはできるだけ、日陰が多くある道を選んで歩くようになりました。

木陰はなぜ涼しいか

 多くの人は暑さは気温で決まると思っています。しかし日向(ひなた)と木陰では、気温はほとんど変わらないそうです。暑さや涼しさは、気温のほかにも湿度、風速、放射(日射や地面からの赤外放射など)が影響します。もちろん、どんな服装をしているかや、どれだけ体を動かしているかも影響します。木陰は日射をさえぎり、人に直接あたる日射を減らします。さらに地面に日陰を作り、地面の温度が高くなるのを防ぎます。木陰によって日射の約8割、地面からの赤外放射の約6割が減少して、体感温度が約6℃下がるそうです。そう知ると、木陰が涼しいのもわけがわかります。今年の夏は、コロナ禍でマスクをはずせない上に猛暑日が続き、あちらこちらから熱中症に注意するようにと叫ばれていますが、そんな中で木陰などの日陰は、人を暑さから守り、保護してくれるのに有効な場所となっているでしょう。

御翼の陰

 「木陰」と聞いて聖書の中で思い出すのは、創世記でアブラハムが、暑い日にマムレの樫の木の下で三人の旅人をもてなした場面や、神様が、預言者ヨナの機嫌を直すために、とうごまをヨナの上をおおうようにして生えさせて、太陽の灼け着くような日差しから彼を守ろうとされた場面ですが、「陰」ということばは聖書では、「保護する」という意味でよく使われています。
 たとえば詩篇には、「御翼の陰」という表現が幾度も出て来ます。「私をあわれんでください。神よ。私をあわれんでください。私のたましいは あなたに身を避けていますから。私は 滅びが過ぎ去るまで 御翼の陰に身を避けます。(詩篇57:1)」。この詩篇の作者ダビデは、四六時中敵から命をねらわれているという苦悩の中にいましたが、まるでひな鳥が親鳥の翼におおわれて守られているように、天地を作られた神様が苦悩の中にいる自分をおおってくださり守ってくださると確信して、神様に切に訴える祈りをささげています。
 その昔、神様はイスラエルの民と契約を結んでくださいました。もし彼らが神に従うならば、祝福するという約束です。(申命記28:1-14)ダビデはどんな苦難のときも神様に全面的に信頼していましたから、必ず祝福を得るという確信を得ていました。そして今日、神を信じる私たちもまたこの約束にあずかることができるのです。

主は避け所

 神様は私たちの避け所です。冒頭のみことば、「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。『私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神』と。」の「隠れ場に住む」とは、神様の守りの下に留まり続ける、ということです。私たちが毎日自分の家に帰るように、何があっても神様に戻って行くならば、神様が保護してくださるということです。
 私たちが何かを為し遂げようとするとき、私たちを惑わすのは、絶えず話しかけて来る、私たちの心の中の敵のことばです。敵は、「お前のような罪人が幸せになれるはずがない。」「お前は役に立たないから価値がない。」などと言って来ます。私たちが苦しむのはこの敵のことばに惑わされるからです。しかし神様のみことばは、「あなたの罪は赦された。(マルコ2:5)」「安心して行きなさい。(マルコ5:34)」であり、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ43:4)」です。私たちはまるで炎天下で木陰に身を避けて涼むように、神様のみことばに身を避けて、安心して生きることができるのです。
 生活の中で私たちが悶々とするとき、たった一人でもわかってくれる人がいれば、たった一人でも賛成してくれる人がいれば、勇気づけられ、また立ち上がる力を得ることができます。神様は私たちの苦しみのすべてを知っておられる方です。ですから困難の中で、私たちはこのお方に助けを求め、このお方のみことばだけを聞き、このお方に全面的に信頼して歩んで参りましょう。

20.08.16 もっと自由に生きられる

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「箴言 29:25 人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」

人の目が気になる

 7月は、豪雨のニュースが連日のように報道されていました。熊本県や岐阜県、山形県など、全国各地で豪雨による被害が出ました。そんな中、山形県の豪雨では、県内を流れる最上川が何か所にもわたって氾濫し、住宅などの被害は出たものの死者、行方不明者は一人も出ませんでした。それは自治体の迅速な対応によることでした。町の担当者は、「最上川は急流で、熊本の球磨(くま)川とよく似ている。球磨川が氾濫したのを見て『ここも同じではないか』と思った。そう思ったとき、早めの避難指示を出すことを決断した。もしかしたら、後から怒られることになるかもしれないが、それでもいいからとにかく指示を出そうと思った。」と当時のことを振り返って話していました。この判断が功を奏して、住民の多くの命が守られました。もし担当者が、「住民を避難させて何も起こらなかったときに、『避難指示を出さなくてよかったじゃないか』と言われたらどうしよう」と思い、住民からの視線を気にして判断を躊躇していたら大惨事を引き起こしていたかもしれません。

わなにかかっている

 今、テレビをつけますと、毎日コロナウイルスの感染者の発表のために各都道府県の知事が会見を開いています。そして、知事が記者たちの質問を受ける時間があります。多くの知事または政府の会見では、記者からの質問に答えるために想定問答集というものがあらかじめ用意されています。担当者が事前に、新聞やテレビの記者を訪ね、質問の内容を収集します。そして他にも想定される質問を自ら考えて用意します。しかし、その膨大な時間を費やして準備された問答集のほとんどは使われることなく、紙くずと化していきます。
 その中で、大阪府の吉村知事の記者会見の様子は、他とは全く違い、想定問答集と呼ばれるようなものは一切ありません。記者から受ける質問に、自分の言葉でわかりやすく答えています。このスタイルは、元大阪府知事の橋下徹氏が始めたのをきっかけに、今も続いています。橋下氏は、この想定問答集が周到につくられていることについて、「『知事が答えられなかったら恥だ。』とか『間違ったことを言ったら大変なことになる』と考えられているからだ。」と指摘しています。
 私たちも人からの評価を恐れるあまり、「きちんと正しく行わなくてはいけない。そうでないと周りから何を言われるか分からない」ということばかりに心が向いていると、「批判されないためにはどうすれば良いだろうか」ということが行動の基準となっていきます。例えば、人から任された仕事を正確に効率よく、かつ喜びをもって行いたいと本心では思っているはずなのに、「ちゃんとやっていないと、またうるさく言われてしまう。ここまでやっておけば言われなくて済むだろう」というような行動となっていきます。すると、仕事だけではなく生活のすべてにおいていつも人の評価を気にした行動となり、わなにかかった状態になって抜け出せなくなってしまいます。

主はどのように見ておられるのか

 私たちは、人の目から見て自分がどう見られているかではなくて、「神様の目から見て私はどう見られているのか」ということに心の目が向けられている必要があります。主は「わたしはあなたのことを、世の造られる前からずっと知っているし、今までずっとあなたのことを気にかけてきた。そしてあなたのことを愛している」という目で見ておられます。
 例えば、仕事でミスをして周りの人に迷惑をかけてしまった時、人の目を気にすると、「きっとあの人は、私のことをできなかったという目で見ている」となります。しかし神様の目は、「あなたはできなかったかもしれないが、そのことであなたを愛さなくなることはない。変わらずあなたを愛している」という目で見ておられます。私たちがそのとても大きな主の愛を受け取るときに、「できていない自分が恥ずかしい」とか、「私はもっと正しく生きていかないといけないのだ」といった思いはすべて払拭(ふっしょく)されます。主は、私たちのことを自分の「子ども」として見ておられます。「パパはいつも君のことを見ているし、いつも近くにいる。安心して好きなことをすればいいんだよ。パパはいつでも君の味方だよ。」という視線が私たちに注がれています。そのことを知る時、私たちは神様から見られていることが嬉しくなります。そんな神様のことを愛したいと思うようになります。無条件で一方的に愛し受け入れてくれるその愛に突き動かされるように、神様を愛したい、そして周りの人をも愛したいという思いへと変えられていきます。

もっと自由に生きられる

 主の視線をずっと感じて生活するときに、私たちは心にあった人からどう思われるだろうかという視線から解放されます。
 ダビデは、契約の箱が町に運び込まれてきたとき、大勢の人が見ている前で、裸同然の格好で、喜び踊っていました。その様子を高いところから眺めていた妻のミカルは、蔑(さげす)んだ目で見ていましたが、ダビデは「私を選んでくださった主の前で、私は喜び踊るのだ。」と言いました。私たちの心が全く主に委ねられているとき、心には「主がご覧になっておられる」という喜びであふれ、私たちの心は守られます。どんな人の前でも大胆に出ていくことができます。私たちは主にあって自由にされることを感謝します。

20.08.09 孤独ではない

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「詩篇68:6 神は孤独な者を家に住まわせ 捕らわれ人を歓喜の歌声とともに導き出される。 しかし頑迷な者は 焦げつく地に住む。」

夏の夕暮れ

 梅雨も明け、暑さも本格的になってきました。毎朝早くからせみがにぎやかに鳴き始め、今日も暑くなるぞ、と告げているようです。日中は暑くて、少しでも外を歩くと太陽の熱と光の攻撃を浴びてへとへとになりますが、夕方には暑さもやわらぎ、何だかほっとします。そんな夏の夕方から夜にかけての時間が、私は好きです。遅い時刻になってもうっすらと明るさが残っていて、どこからともなく虫の声が聞こえ始め、いつの間にか暗くなっている感じが、ゆったりしていていいなと思います。
 「春はあけぼの」で始まる平安時代の名著「枕草子」の作者も「夏は夜」(夏は夜がいい)と、ほぼ同じ意見です。彼女は「夏の夜の闇の中に蛍が飛び交うのがいい」と言います。実際、現代の町中では蛍にはなかなか出会えませんが、空を見上げれば暗闇に輝く星の光を楽しむことができます。彼女は夜がいい、と言っていますが、夕暮れから夜にかけての時間も、暗くても外に出て楽しく過ごせるという開放的な雰囲気が、何となく幸せな気分をかもし出していて素敵だなと思います。

山本寛斎さん

 先月、日本を代表するデザイナーの一人である山本寛斎さんが亡くなりました。寛斎さんと言えば、あの満面の笑顔と、あざやかな色のスーツをいつも着こなしておられたのが印象的でした。日本人で初めて、ロンドンでファッションショーを開催し、日本の文化を取り入れた斬新なデザインで注目を集めました。あのデビッド・ボウイの衣裳を手がけたり、イヴェントのプロデューサーとしても活躍しました。いつも元気でエネルギッシュに活動されていました。
 最近読んだある記事で、彼は夕暮れ時の風景が苦手だったと知りました。幼少期にご両親が離婚されたそうで、一時暮らした児童施設から脱走を図り、親戚を尋ねましたが追い返されてしまったそうです。その時、列車の中から見た夕暮れの寂しい色の記憶。自分がきれいで明るく元気いっぱいの世界を作り出そうとするのは、「あの寂しい風景から逃れるためかもしれない」と書いていたそうです。夕暮れが苦手な人もいるんだなと思いました。そして、あの明るい配色や奇抜なデザインは、そんなところから生まれたのかと意外さを感じ、決して表面には現れなかった、彼の心の奥底にある孤独を思いました。

サマリヤの女

 ヨハネの福音書にサマリヤの女が出てきます。彼女は孤独でした。過去に五回も結婚していて、今一緒に住んでいる夫とは正式に結婚していなかったのです。愛に飢え渇いていました。真に愛されることを求め、次々に夫を変えてきたのでしょう。ですから町の人々から軽蔑されて白い目で見られていました。彼女は人目を避けて、真昼間の炎天下に水を汲みに来ました。イエス様は井戸の傍らに、座っておられました。そして女性に、「わたしに水を飲ませてください(ヨハネ4:7)」と声をかけられました。ユダヤ人とサマリア人は敵対していましたから、女性はユダヤ人のイエス様が自分に声をかけられたことに驚きました。イエス様は彼女の飢え渇きと孤独をよく知っておられたのです。イエス様に「あなたの夫をここに呼んで来なさい。(同4:16)」と言われ、彼女は自分のしたことをすべて知っている方がおられることを知りました。そして、イエス・キリストこそ救い主であると信じて救われたのです。そして人々の中へ出て行って、キリストを証しする者に変えられました。彼女の孤独は癒されたのです。「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。(ヨハネ4:14)」

孤独ではない

 この世界を造られた真の主は、唯一私たちの孤独を癒してくださいます。枕草子の作者は自然の中に心の慰めを見いだしましたが、自然は神様が造られたものです。神様は自然を通して人を癒してくださいます。一方寛斎さんは、子どもの頃のさびしさから逃れるために、明るい元気な色を使って、心に潜む孤独に立ち向かっておられました。彼が真の神様を信じていたかわかりませんが、どんなに人間的に成功し、華やかな世界に身を置いていても、真の神様を信じることなしには、彼の孤独は根本的に癒されることはなかったはずです。しかしサマリヤの女は、イエス様に出会い、彼を救い主であると信じて罪赦され救われました。自分の孤独を知っておられる方がいると知り完全に癒されたのです。
 神様は私たちを愛し造ってくださいました。ですから私たちの心の中にある思いをすべてご存知であられます。変わらないお方が心を知ってくださっているということが、真の慰めなのです。

20.08.02 賛美されるべき方

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「詩篇145:3 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さは 測り知ることもできません。」

バイオミメティックス(生物模倣技術)

 先日、九州大学などのメンバーで構成された研究グループが、「昆虫の中で最も小さく羽が折り畳まれる」と言われているハサミムシの、羽の折り畳みの仕組みを解明したというニュースが報道されていました。今回の解明は、今後、人工衛星用の太陽光パネルや、傘、扇子などの日用品などに幅広く応用できるとして注目を集めています。このような、生物に備えられた機能を真似て、ものづくりなどに利用する技術のことを「バイオミメティックス」といいます。ハサミムシは、開いた羽を15分の1程度まで小さく畳むことができ、その折り畳み方がとても複雑だと思われてきたそうですが、実はシンプルなパターンであることがわかったのです。扇のような形をした羽の折り目は、扇の要にあたる部分から放射状に規則的に伸びていて、その状態から、扇子を閉じるようにして羽を閉じ、さらに半分に折り畳むことができるそうです。この一瞬のうちにしてコンパクトに折り畳む術が、様々なものに応用できるということなのです。
 他にも、私たちが普段、コードを束ねたり、バッグの開閉部分で使ったりしているマジックテープも、生物模倣技術による商品です。これは、ゴボウの花にあるトゲがヒントになっています。ゴボウの花は、いわゆる、ひっつき虫と呼ばれるもので、アザミに似てトゲがたくさんついています。このトゲの先が鉤(かぎ・フック)のようになっていて、服などの繊維に引っかかり付着します。この仕組みに着目し作られました。
 また、500系新幹線は、車両の先端が、鳥のくちばしのように尖っていますが、これは、冒頭の写真にもありますが、カワセミのくちばしからヒントを得て設計されました。時速300kmという速さでトンネルに突入するとき、トンネル内部の空気が一気に圧縮されて、トンネルの出口部分で「ドーン!」という爆発音のような音が出ます。この騒音を解消すべく参考になったのがカワセミのくちばしでした。カワセミは、餌を捕まえるために抵抗力の大きい水中に飛び込んでも水しぶきはほとんど上がりません。このことをヒントにして作られました。

長い時間をかけて研究されてきた

 そして、このような研究、実験は、最近始まったことではなく、昔からされています。一つの研究だけを取ってみても、そこには莫大な研究費がかかり、多くの人が携わり、膨大な資料を集め、長い年月をかけて行っていることだと思いますし、一生涯をその一つの研究だけに費やす人も数多くいることだと思います。そして、研究を積み重ねていっても、必ず成果につながったり良い結果が得られるという保証もありませんので、まったく先行きの見えない世界であると思います。
 今後、生物に関する様々な研究がなされ、新たな発見や解明が発表されたとしても、それは地球に生息するすべての生物から見れば、ほんの一部にすぎないことですし、詳しい生態やメカニズムが明らかになっていないことはいくらでもあり、すべてを網羅することはとても不可能に思えるような領域ではないかと思います。

生きる物はすべて神のことばによって造られた

 創造主なる神様は、すべての生きる物、そしてそのとても優れた素晴らしい機能を一瞬のうちにして造られました。それは神のことばによることでした。神が、「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。(創世記1:20)」と仰せられると、その言われた通りに、そこに生き物が群がったのでした。神はいのちを与えることのできるお方であり、無から有を生じさせることのできるお方であられます。神が生きる物を造られたときに、すでにその優れた機能のすべてが備えられていたのです。決して、長い年月をかけてだんだんと今の形へと進化してきたのではありません。人は神が造られたものを真似て応用し、ものを作り出すことはできても、いのちあるもの自体を作り出すことはできません。私たちは、この生物に秘められた素晴らしい機能を見る時に、神様の素晴らしい知恵が現されていることを知ることができるのです。

神のみわざをほめたたえよ

 ですから私たちは、神様のすばらしいみわざをほめたたえなければなりません。最高のデザイナーであられる方が造られた作品はどれを見ても素晴らしいものばかりです。野に咲いている一輪の花を見ても、その放射状にきれいに並んでいる花びらの様子や、形や色、香り、成長する様子など、人間の手によってでは決して表現することのできない精巧さを見るとき、そこに神様の栄光が現されているのです。私たち人間も、特別に神様が愛して下さって造られた存在です。神のかたちに似せて造られました。ですから、感情がありますし、知恵を持って考えることができますし、他の生物とまったく区別される人格ある存在です。誰一人として同じ人は存在しません。目も鼻も口も、顔の輪郭も声も、みな一人一人違います。それは神様が一人ずつ特別に思い入れを持って造られたからです。「あなた」という人は、世界でただ一つの神の作品です。神様の最高傑作が「あなた」であり、ここに神様の栄光が現されているのです。
 主は、賛美を受けるべきお方であられ、賛美を受けるにふさわしいお方であられます。私たちが主を賛美するとき、主の栄光を見ることができるのです。

20.07.26 真のリラックス

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「マタイ11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

花を見てリラックスする

 多くの人は花が好きです。庭に季節ごとに咲く花の木を植えたり、鉢植えを育てたり、花びんに活けて飾ったりして楽しみます。誕生日などのお祝いに花束を贈りますし、結婚式や卒業式などの式典にも花は欠かせません。花は私たちの生活に溶けこんで、私たちの生活を彩ってくれるものです。
 先日、「花の観賞は人間の脳に影響を与え、ストレスで上昇した血圧やストレスホルモンの値を低下させることを実証した」という研究成果が新聞で紹介されていました。森林を散歩したり、緑の木々の写真を見たりすると、ストレスが軽減されることは知られていましたが、花による軽減効果は今回初めて検証されたそうです。実験では、ストレスを与えるためヘビや交通事故などの不快な画像を提示した後、花や青空の画像を見てもらって、血圧とホルモン、脳の活動の変化を調べたそうです。すると花の画像を見たあと、ストレスを示す数値が下がりました。ほかの画像では変化がなかったそうです。花の画像に引きつけられ、ストレスの源の不快な画像から意識がそれたためで、男女差も、個人差もあまりないそうです。今後、花の画像を見る方法が、病気の治療にも生かせるか検証していくということでした。

ストレス

 私たちは毎日忙しく過ごしています。仕事、学校の勉強、子育て、家事、家庭生活、ご近所との付き合いなど、やるべきことがたくさんあります。そんな中で、ほとんどの人がストレスを感じているのではないでしょうか。仕事が忙しくて休む暇がない、職場の上司が理不尽なことを言う、部下が言うことを聞かない、夫が家事や育児を手伝ってくれない、クラスにいじわるな子がいる、経済が満たされない、体の調子が悪いなど、思い通りに行かないことがあると私たちはストレスを感じます。近年過労死が問題になっています。働き過ぎてストレスが極限に達すると、死に至るのです。私たちにはリラックスする時間が必要です。

リラックスするためには

 「ストレス解消」ということばをよく耳にしますが、私たちはストレスを解消してリラックスするために、忙しい日常生活からのがれて何かをしようとします。今回コロナ禍で、不要不急の外出を控えよう、と呼びかけられました。旅行はもちろん、イベント、コンサート、映画や演劇、スポーツ観戦、家族や友人と外食に出かけることなどが不要不急です。こうしてみると、こういうことはみな、人がリラックスを得るためにしたいと願って求めることばかりだと思わされます。人の心にゆとりや安らぎを与えるもの、生活を豊かにするものと言ってよいかもしれません。このコロナ禍では自粛は仕方のないことですが、不要不急と言われている活動は、私たちのリラックスのためには、至急必要なことと言えるのではないでしょうか。
 しかし、実際はこのようなリラックスは一時的なものです。旅行もコンサートも、その時には日常のストレスを忘れて、見たことのない風景や珍しい食べ物を楽しんだり、生の演奏を聴いて心安らいだりしますが、家に帰ってくれば、次の日からまたいつもの日常に戻ります。自然の中へ出かけて行って、森林の緑に心洗われたり、きれいな川や海で遊んで満ち足りたとしても、しばらくはその印象が続きますが、日常の忙しさの中ではいつしか心の中から消えてしまいます。一時的にリラックスできたとしても、毎日起こるストレスは、尽きることがありません。

真のリラックス

 神様は私たち人間を特別に愛してくださり、人間のためにすべての被造物を造ってくださいました。食べるために植物や動物を、衣服や家を作るために材料を用意してくださいました。そして、私たちがリラックスできるように、美しい自然や、芸術や人との楽しい交わりを与えてくださったのです。美しい花を見て私たちがリラックスするしくみは、神様がはじめから造られたものです。それを、人間が後から検証したに過ぎません。
 しかし真のリラックスは、神様ご自身から来ます。イエス様は「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言われました。主は私たちの罪の身代わりとして十字架で死んでくださり、信じる私たちの思い煩いのすべてを負ってくださいました。日常生活の中でストレスは避けられませんが、その中で私たちは神様とともにリラックスして生きることができます。私たちがリラックスする時間は、神様と会話する時=祈りです。信じる私たちは、「主よ、私は疲れています。休ませてください。」と祈ることができます。主の御前に重荷を下ろして祈って参りましょう。

20.07.19 ほかに神があってはならない

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「出エジプト20:3 あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」

多様性

 最近、テレビや新聞などで、「多様性」「ダイバーシティ」といった言葉を耳にするようになりました。ただ言葉だけを聞いても、何のことを言っているのかよくわからないといった感じがしますが、「様々な考え方や価値観」という意味で使われます。働き方や、家族のあり方などは様々であり、人それぞれ考え方、価値観は異なるので、それを否定するのではなく、受け入れましょうという時には、「多様性を受け入れる」「多様性を認める」というような言い方をします。
 ひと昔前の日本人の働き方は、女性は、結婚し子供ができたら仕事を辞めて家事育児に専念するといった風潮がありましたが、最近は、仕事と育児の両立を求める人が多くなり、結婚して子供ができても、会社を辞めずに育児休暇制度を利用して、しばらくの間休みをとり、ある時期を過ぎると職場に復帰するという人も増えてきました。また、女性だけではなく、男性が育児休暇を取得するケースも増えてきました。さらには、コロナをきっかけとして、テレワークや時差出勤などの勤務スタイルが増えつつあり、働き方も「多様化」していると言えるかもしれません。
 また、最近問題となっているLGBT(性的少数者をあらわす言葉)は今、あらゆる国や地域でその動きを推進するための運動や活動がなされています。「性のあり方は多様であって、周りはそれを受け入れてあげるべきである」といった、聖書とはまったく相反する考えが広まっている現実もあります。
 家庭のあり方についても、人それぞれであり、それを非難したりするのではなく、多様性を認めて受け入れようとする向きがあります。「夫婦だからといって一緒に暮らさないといけないことはない」という考え方から、「別居婚」や「週末婚」と言われるような、平日は離れて暮らしていて週末だけ会って過ごすなど、子育てがひと段落した世代の人が、離婚はしないけれども互いに干渉しないで、自分の好きなことをやって過ごすといった生活をしている人もいたりします。

八百万の神

 日本では古くから、八百万(やおよろず)の神がいると考えられています。八百(やお)は数が極めて多いことを意味し、万(よろず)は、様々であるという意味なので、「多種多様な数多くの神」ということです。山、海、森、大木、巨大な岩など、自然の中に神が宿っていると信じて、それを拝んでいます。その他にも、安産や子宝の神様、交通安全の神様、商売繁盛の神様など数えきれないほどの神様が存在していると考えています。
 そして日本人は、様々な文化や考え方を受け入れる風習があります。家族でクリスマスを祝い、大晦日には除夜の鐘を鳴らし、元旦は神社へ初詣に行き、願い事をしておみくじを引き、結婚式は教会で挙げて、子供ができたら、七五三のために神社へ行き、葬式はお坊さんを呼んで行うといったことが、当たり前のように行われています。このようにして、日本では、様々な考え方、価値観があり、良いと思われるものであれば、それを受け入れたり、認めたりする事柄が数多くあります。

神を信じて生きる人生と信じないで生きる人生

 しかし、私たちの人間の生き方、人生は大きく分けて二つに分かれるのではないかと思います。「真の神を信じて生きる人生」と「真の神を信じないで生きる人生」です。前者は、「この世界は、神によって創造されたのだ」と信じています。創造主であられる神を信じて生きるならば、私たちは正しく考え判断して進んでいくことができます。結婚や夫婦関係、家庭のあり方についても、聖書に基づいて正しく考えることができます。たとえ過ちを犯したとしても、それに気づかせてくださる方がおられ、また正しい道へと引き戻してくださる方がともにいてくださるのです。
 一方、真の神様を信じて生きていないと、何が正しいのかが分からなくなり、世の考え方、思想、価値観によってどんどん自分本位の考えへと進んでいってしまいます。自分の利益になることだけを追い求め、自分の目に正しいと思うことを行い、楽しく生きていければそれでいいというような楽観的な考えになっていきます。
 神を信じて生きる人の人生と、そうでない人の人生は、どちらを選択するのかで大きく変わります。今日、明日大きな変化はなくても、10年20年経った時に「経済が祝福されていた」「習慣が変えられた」「必要が満たされていた」という明らかな変化が起きているはずです。私自身も、「もし、今現在も神様を信じないで生活していたらどうなっているだろうか」と考えるだけで、「神様のもとから離れたくない」と思いますし、主のあわれみで生かされているのだと感謝せずにはいられなくなります。

神を恐れよ

 私たちは、ただ真の神様だけを神として礼拝し、仕えていかなければなりません。伝道者の書には、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者12:13)」とありますが、人間のすることは、真の神を恐れ、その命令を守ることであり、私たちはいつもここに立ち返らなければなりません。
 私たちが信じている神様は、人間が造り出した神ではなく、私たち人間を造られた神様であり、今も生きておられ、愛してくださっている愛の神であり、私たちに祝福を与えてくださる真実なお方であられます。神はお一人であられ、ほかには神はいません。私たちはただ主を恐れて歩んでまいりましょう。

20.07.12 日ごとの糧

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「マタイ6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」

ダッバーワーラー

 「スタンリーのお弁当箱」というインド映画があります。主人公のスタンリーは小学4年生で、明るくてクラスの人気者です。お昼になると、友だちはみんなお母さんが作ってくれたお弁当を食べますが、スタンリーはお弁当を持って来ることができず、いつも水道の水を飲んでいました。それを見た子どもたちは、自分たちのお弁当を分けてあげるのですが、意地悪な教師に見つかって叱られ、スタンリーは学校に行かなくなってしまいます・・。児童労働の問題を扱った映画なのですが、一般の子どもたちを集めて映画のワークショップをする中で撮影されたため、カメラがあることを知らされていない子どもたちの生き生きした表情がとても魅力的な映画です。そして、子どもたちが食べているお弁当がまたとてもおいしそうで、魅力的なのです。
 この映画の中に、「ダッバーワーラー」というお弁当の配達業者が出て来ます。ダッバーは、金属製で三段重ねのインドのお弁当箱のことです。家庭で作ったお弁当を、職場や学校へ届けてくれる業者ですが、手押し車や自転車などで一人で一度にいくつものお弁当箱を運び、正確な時間に届けてくれるそうです。インドの都市ムンバイで100年の歴史を持つ職業だそうですが、こんな職業があることに驚きました。最近日本でも、自宅に料理を届けてくれる「ウーバーイーツ」が流行っていますが、人は食べることには惜しまず情熱を注ぐものだな、と思わされます。

エッセンシャルワーカー

 コロナ禍で、エッセンシャルワーカーということばを聞くようになりました。たとえば、医療関係者、介護に携わる人、運送や宅配のトラックの運転手、ごみ収集に携わっている人、スーパーマーケットのレジ係、警備員など、人々が外出自粛をしている中で、感染のリスクを負いながらも、現場で働き続けていた方々のことです。「エッセンシャル」とは英語で「必要不可欠な」という意味で、 私たちの基本的な生活に、なくてはならない職業ということです。外出を控えるといっても、人は誰もが食事をしなければ生きていけませんから、スーパーやコンビニで働く人やごみ収集をしてくれる人がいてくれないと困ってしまいます。各国の大統領や首相がスピーチの冒頭に、エッセンシャルワーカーの方々に敬意の意を述べる報道もありました。コロナ禍で、人々がエッセンシャルワーカーの重要性に気づき、感謝の気持を持つようになったことは、コロナ禍がもたらした良いニュースです。それにしても、人はどんな状況でも食べることだけは省略できないんだなと、痛感させられます。

主の祈り

 冒頭のみことばは、イエス様が弟子たちに教えた「主の祈り」の中の一節です。「主の祈り」は、神様が私たちに、ご自分に何を願うことを求めておられるかを教えるみことばです。「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」という一節は、今日必要な食べ物を求める祈りです。食べ物はいのちと直結しています。イエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる(マタイ4:4)」と言われ、人はみことばに従わなければ生きていけないことを教えられましたが、同じように私たちは文字通りの「パン」も食べなければ生きていくことができません。神様は私たちの食べ物にも関心を持ってくださる方です。親は子どもが十分に食べているかどうか、いつも気にかけているものです。そして子どもは親に、「お腹空いた、何かちょうだい」と臆面もなく求めます。それと同じように、「お父さん、今日食べる物を与えてください。」と神に求めなさいと言っておられるのです。そんな親密な関係を、神様が私たちと持ってくださることを感謝します。

日ごとの糧を与えてくださる主

 私たちが「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」と祈る時、ともすると、もう与えられているのに何故祈らなければならないのかと思うかもしれません。おそらく今日食べるものが何もないという人は、少なくとも今の日本にはほとんどいないでしょう。しかし、私たちが糧を得るために働くことができる毎日の生活こそが、神様の恵みであることに気づかなければなりません。今日仕事に出かけられるのは、また家事をすることができるのは、神様がやる気と健康を与えてくださっているからにほかなりません。さらに穀物や野菜が実り、家畜や魚が育つのも、いのちを司っておられる神様のわざです。神様が働いてくださらなければ私たちは何も手に入れることなどできないのです。毎日心をこめて、神様に「日ごとの糧」を求めて祈りましょう。

20.07.05 いつまでも変わらない神のことば

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「マルコ13:31 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」

長い歴史に幕

 先日、NTTのハローページが、2021年10月以降に発行される最終版をもって終了するという発表がありました。130年の長い歴史に幕を閉じることとなりました。個人宅の電話番号が掲載されている電話帳ですが、昔はどの家庭でも電話機のそばに必ず置いてあったのではないかと思います。私の家にも、昔はハローページと企業用のタウンページが置いてありました。友人の自宅へ電話をする時に調べたりしましたが、「とても分厚くて重たい」そんなイメージがありました。近年、携帯電話の普及や、個人情報保護の意識が高まる中、発行部数は年々減少傾向にあったようです。
 電話帳の始まりは、1890年の明治時代にまでさかのぼります。最初は、一枚の紙に230件ほどの個人や企業の連絡先が掲載されていただけのものでした。それが、ピークの1990年代には6500万件までになりましたが、昨年は120万件と、大きく減少していました。30年前と今とでは、明らかに人の通信手段は大きく変わりました。最近は、電話帳を目にする機会がほとんど無くなってしまいましたが、電話帳だけではなく、固定電話や、公衆電話の数も毎年減少しています。様々なものがデジタル化にシフトしていく中で、その役割を終えるサービスもたくさん出てきています。
 地元名古屋の老舗デパート「丸栄」も、二年前に営業を終了しました。その歴史は、前身の呉服屋時代を含めると403年にもなるそうです。400年前ですと江戸時代の創業ということになります。かつては、西日本最大の売り場面積を誇り、名古屋にある、松坂屋、三越、名鉄百貨店の大手百貨店と並んで、「4M」と呼ばれていました。現在、大型のショッピングモールや商業施設がいたるところでオープンし、ネット通販による買い物が増え、さらには高齢化が進み、あらゆる時代の変化によって、デパートの業界も衰退しつつあるのではないかと思います。
 また、現在、コロナウイルスの関連による倒産も相次いでいます。100年以上も続いた老舗のレストラン、旅館などの倒産が相次いでいます。今までは当たり前のように身近に存在していたものが、時代の変化に伴って衰退していき、その終わりの時を迎えることとなっています。

人間のいのちも限りがある

 そしてまた、私たちのいのちも限りあるもので、いつかその終わりの時を迎えることになります。造り主なる神は、「人の齢は百二十年にしよう。(創世記6:3)」と定められました。現在、日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳だそうです。聖書には、「私たちは 自分の齢を 一息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。(詩篇90:9-10)」とありますように、70年、80年という時間は、地球の約6千年という歴史からすれば、ほんの一瞬に過ぎないものであります。
 人の魂(たましい)は、神の御前にあって同じ一つの魂です。過去に偉大な発明、人類の歴史を変え、社会に大きな影響を与えてきた名だたる偉人と呼ばれる人であっても、大きな事件を起こし、社会に強烈なイメージを与えた凶悪犯であっても、どんな人であっても死は同じように訪れ、その魂は主の御前にあってみな同じであり、大きいとか小さいといったことは全くありません。人の魂は、主のご支配の下にあり、人間がそれをコントロールすることはできません。明日必ず生きているという保証はありません。すべて神様の手に委ねられているのです。

聖書は今もなお、人々に影響を与え続けている

 神のことばである聖書は、あらゆる時代のあらゆる人々に対して影響を与え続けています。世界中で毎日のように数えきれないほどの本が出版されていますが、聖書はその中でも、毎年、世界のベストセラーとなっており、現在、2500以上もの言語に翻訳されています。科学者、音楽家、医者、経営者、大統領、政治家などの著名人のみならず、あらゆる時代の、様々な立場の人々の人生に大きな影響を与えています。
 アポロ15号で月面着陸した宇宙飛行士は、「宇宙は神が造られたとしか考えられない」と言っています。また、アメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンは、「神と聖書なしに、この世を正しく統治することは不可能である」とも言っています。他にも、日本銀行の総裁を務めたことのある速水優さんは、「私は『主共にいます』『主われを愛す』『主すべてを知りたもう』という三つのことを心の中に入れて出て行けば、人を恐れないで、相手の顔を見て言うことができることを何回も体験しました。」と言っています。クロネコヤマトでおなじみ、ヤマト運輸の創業者である小倉昌男さんは、「経営というのは、自分が人にしてもらいたいと思うことを相手にもしてあげること。自分がやられたら嫌なことは相手にもしない。この二つに行き着く。僕はそうやって経営をやってきた」と言っています。
 昔から、あらゆる時代の人が聞いて影響を受けてきた聖書のことばが、今日の私たちにも変わることなく届けられています。そして神のことばは、これからもずっと変わることなく人々に影響を与え続けていくことだと思います。

みことばに毎日触れる

 ですから私たちは、毎日みことばに触れる生活をしていきたいと思います。聖書を読むことによってみことばに触れ、生活の中で主から語られることによって、みことばに触れることができます。みことばに毎日触れ続けていることで、私たちは変えられていきます。「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。(ローマ10:17)」とありますように、みことばをまず聞くことが、私たちの信仰の土台となります。どんな人の励ましの言葉や、今日あった嬉しい出来事も、ほんの一瞬のうちにして、過ぎ去ってしまいます。しかし、みことばは、ずっと私たちの心に語りかけられていて、それは決して消え去ることはありません。「私はあなたのみことばを心に蓄えます。(詩篇119:11)」

2020年 テーマ
「感謝」

Ⅰテサロニケ 5:18
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。