26.8.16 良い行いは良い心から出る
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2026.8.16 週報.pdf
「ルカ6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。」
心に満ちていることを口が話す
イエス様は、「木が良い木なのか、悪い木なのかは、実を見ればわかる」と言われました。「良い木から悪い実がなることはないし、悪い木から良い実がなることもない」それと同じように、「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。」と言われたことでした。「実」つまり、その人のしている行動を見れば、また、話す言葉を聞けば、その人の心の内にあるものがわかるということです。心の内にあるものは、良いものであれ、悪いものであれ、必ず外側に目に見える形となって現れて来ます。「あなた」という人がどのような人物なのか、その人自身を形作っているのは、その人が、一日中何を考えているかであり、毎日心に満ちている考えそのものである、というのが聖書が教えていることです。
信仰は行いに現れる
私たちの信仰も同じで、心に信じていることは、必ず行いとなって現れて来ます。たとえば、あなたの心の内に、主に信頼する信仰があれば、それが、目に見える形の行動となって現れて来ます。毎日、みことばに語られて、みことばを行いたいと願い、みことばとともに過ごしているならば、その人は、自然とみことばを行う人になります。私たちが口にする言葉、行動は、心のうちにある信仰から出て来ます。
そこで私たちは、「良いことを考えよう」「もっと前向きな良い言葉を話すことを心がけよう」「今よりもっと人を愛そう」「もっと主を喜ぼう」と、考えを改め、口にする言葉を改め、行動を改めて、きよく正しく生きようとするかもしれません。しかし、いくら外側をきよめようと一生懸命になっても一向に変わりません。私たちは、自分で自分の心をコントロールすることができません。自分の舌をコントロールすることができません。行いをコントロールすることができません。
内側をきよめよ
まず、内側をきよめなければなりません。「そうすれば外側もきよくなる。(マタイ23:26)」とイエス様は言われました。イエス様は、律法学者、パリサイ人たちに対して「おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。(マタイ23:27)」と厳しく彼らの偽りの心を指摘されました。外側は正しく見えても、内側は偽善と不法で満ちていると非難されました。
たとえば、心配や焦りで心が支配される時、否定的な考えで押しつぶされそうになる時、それらの思いを排除しようとして、平静を装うのではなく、そのありのままで御前に出て、その内側をきよめていただかなくてはなりません。失敗しないように、罪を犯さないようにして、良い行いに励む生き方は、みこころではありません。内側にあるものを主に差し出して、きよめていただいて、新しくされるのが、キリストに従う者の歩みです。
きよめられて、みこころを行うことができる
悔い改めて、「主よ、あなたに信頼します」と決意する時、心にあった心配は一掃されて、「主が助けてくださる、行わせてくださる」という信仰が与えられて、きよめられて、私たちはみこころを行うことができるようになります。そこから私たちは、新しく主とともに正しい道を進み始めることができるようになります。(岩下 栄作)
聖会感謝!
今年のテーマは、「主を喜べ」でした。安食先生を通して、メッセージが語られました。その中で、特に初代教会の働きについて触れられることが多くありました。「使徒たちが、聖霊に満たされ、聖霊の導きに喜んで従い、彼らを通して神は奇跡をなされた。その神は今も変わらないお方である、であるならば、今日、私たちの教会においても同じことが起こらないはずはない」と語られました。私自身も強く示され、決意を新たにさせられました。
ともに主を礼拝し、賛美をし、みことばを聞き、祈り、交わりを持つ中で、たくさんの恵みをいただきました。
イエス・キリストを信じる者が、共に一つ所に集まり、恵まれた時を過ごすことができたことを、主に感謝します。
26.8.16 良い行いは良い心から出る
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「ルカ6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。」
心に満ちていることを口が話す
イエス様は、「木が良い木なのか、悪い木なのかは、実を見ればわかる」と言われました。「良い木から悪い実がなることはないし、悪い木から良い実がなることもない」それと同じように、「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。」と言われたことでした。「実」つまり、その人のしている行動を見れば、また、話す言葉を聞けば、その人の心の内にあるものがわかるということです。心の内にあるものは、良いものであれ、悪いものであれ、必ず外側に目に見える形となって現れて来ます。「あなた」という人がどのような人物なのか、その人自身を形作っているのは、その人が、一日中何を考えているかであり、毎日心に満ちている考えそのものである、というのが聖書が教えていることです。
信仰は行いに現れる
私たちの信仰も同じで、心に信じていることは、必ず行いとなって現れて来ます。たとえば、あなたの心の内に、主に信頼する信仰があれば、それが、目に見える形の行動となって現れて来ます。毎日、みことばに語られて、みことばを行いたいと願い、みことばとともに過ごしているならば、その人は、自然とみことばを行う人になります。私たちが口にする言葉、行動は、心のうちにある信仰から出て来ます。
そこで私たちは、「良いことを考えよう」「もっと前向きな良い言葉を話すことを心がけよう」「今よりもっと人を愛そう」「もっと主を喜ぼう」と、考えを改め、口にする言葉を改め、行動を改めて、きよく正しく生きようとするかもしれません。しかし、いくら外側をきよめようと一生懸命になっても一向に変わりません。私たちは、自分で自分の心をコントロールすることができません。自分の舌をコントロールすることができません。行いをコントロールすることができません。
内側をきよめよ
まず、内側をきよめなければなりません。「そうすれば外側もきよくなる。(マタイ23:26)」とイエス様は言われました。イエス様は、律法学者、パリサイ人たちに対して「おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。(マタイ23:27)」と厳しく彼らの偽りの心を指摘されました。外側は正しく見えても、内側は偽善と不法で満ちていると非難されました。
たとえば、心配や焦りで心が支配される時、否定的な考えで押しつぶされそうになる時、それらの思いを排除しようとして、平静を装うのではなく、そのありのままで御前に出て、その内側をきよめていただかなくてはなりません。失敗しないように、罪を犯さないようにして、良い行いに励む生き方は、みこころではありません。内側にあるものを主に差し出して、きよめていただいて、新しくされるのが、キリストに従う者の歩みです。
きよめられて、みこころを行うことができる
悔い改めて、「主よ、あなたに信頼します」と決意する時、心にあった心配は一掃されて、「主が助けてくださる、行わせてくださる」という信仰が与えられて、きよめられて、私たちはみこころを行うことができるようになります。そこから私たちは、新しく主とともに正しい道を進み始めることができるようになります。(岩下 栄作)
聖会感謝!
今年のテーマは、「主を喜べ」でした。安食先生を通して、メッセージが語られました。その中で、特に初代教会の働きについて触れられることが多くありました。「使徒たちが、聖霊に満たされ、聖霊の導きに喜んで従い、彼らを通して神は奇跡をなされた。その神は今も変わらないお方である、であるならば、今日、私たちの教会においても同じことが起こらないはずはない」と語られました。私自身も強く示され、決意を新たにさせられました。
ともに主を礼拝し、賛美をし、みことばを聞き、祈り、交わりを持つ中で、たくさんの恵みをいただきました。
イエス・キリストを信じる者が、共に一つ所に集まり、恵まれた時を過ごすことができたことを、主に感謝します。