週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

25.11.9 よく気をつけなさい


 
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2025.11.9週報.pdf
 
「Ⅱペテロ3:17 ですから、愛する者たち。あなたがたは前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。」
 

堅実さは、みことばを土台とした生き方にある

 ペテロは、この手紙の結びとして、以前にも触れた事柄について再度警告をしています。それは、偽教師たちが神のことばを曲げて、自分たちの都合の良いように解釈をし、真っ直ぐにみことばを信じ受け入れる人たちを、自分たちの教えに引きずり込もうとする彼らの惑わしに警戒しなさいということでした。そのために、「自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。」と忠告しています。「堅実さ」とは何でしょうか。それは、すでに聞いて知っているみことばを文字通りに信じて受け入れることです。みことばだけを土台とした生活、生き方です。考えや行動のすべての基準がみことばにある生き方です。「みことばに信頼して生きていけば大丈夫なんだ。みことばの通りに生きていけば、必ず祝福される、幸せに生きられる、成功する」という主に対する確信が、私たちが持つべき堅実さではないでしょうか。
 

守るべきもの「信仰」

 その堅実さを失わないよう、「よく気をつけなさい」と言っています。「気をつける」とは、ここでは「守る」という意味です。私たちは、健康を守ること、家族を守ること、生活を守ることなど、守るべきものがありますが、箴言のみことばに、「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。(箴言4:23)」とあるように、それ以上に私たちが守るべきものは私たちの心です。心が守られることほど大切なことはありません。しかし、主を信じる者にとってそれ以上に一番大切な守るべきものは、「信仰」です。信仰は、私たちが勝ち得たものではなく、神から与えられた賜物、プレゼントです。そしてそれは、「良いもの、価値あるもの」です。また神が私たちにゆだねられたものです。ですから私たちは、その神から与えられた信仰を持って生きていかなくてはなりません。これを決して手放してはなりません。信仰は管です。信仰を通して神は働かれ、みわざをなされます。豊かな恵みが注がれます。みことばに堅く立つ、その信仰をなくさないように、よく気をつけなくてはなりません。
 

信仰がなくなると揺れ動いてしまう

 私たちは、いつも信仰によって生活をしていないと、それは、私たちが気がつかないレベルで徐々に後退して行きます。信仰をなくし、信仰から離れてしまうと、みこころが何であるのかがわからなくなり、霊的に鈍感になってしまいます。人の意見やこの世の価値観に無意識のうちに流されてしまいます。神様に対しても疑いが生じて、いつも心は定まらず、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと揺れ動いてしまいます。ですから、是が非でも、神から与えられた信仰を手放してはなりません。守らなければなりません。
 

信仰は祈りによって守られる

 信仰を守るために私たちが一番するべきことは、祈りです。祈ることによって、たとえ間違った考え、悪い考えを持っていたとしても、主が必ず正しい方向に導いてくださいます。そして、祈ることによって、だんだんと心にある不安や思い煩いは取り去られて行き、愛する気力、働くやる気が湧いてきます。また祈ることによって、自分の感情や人の言葉に左右されることがなくなります。祈ることによって、今日一日の仕事、勉強に備えることができます。みことばの真理に堅く立ち続けて歩んでまいりましょう。(岩下 栄作)
 


 

リトリートハウス 駐車場工事

 先週、リトリートハウスの、駐車場の工事が行われました。出入口のスロープは、単管と材木を使って組み立てられました。材木を塗装し、材木と単管を結合して、スロープは完成しました。また、水はけを良くするために、駐車場の周囲の溝掘りをしました。駐車場の整備は、まだ続きます。お祈りください。

25.11.9 よく気をつけなさい
 


 
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「Ⅱペテロ3:17 ですから、愛する者たち。あなたがたは前もって分かっているのですから、不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。」
 

堅実さは、みことばを土台とした生き方にある

 ペテロは、この手紙の結びとして、以前にも触れた事柄について再度警告をしています。それは、偽教師たちが神のことばを曲げて、自分たちの都合の良いように解釈をし、真っ直ぐにみことばを信じ受け入れる人たちを、自分たちの教えに引きずり込もうとする彼らの惑わしに警戒しなさいということでした。そのために、「自分自身の堅実さを失わないよう、よく気をつけなさい。」と忠告しています。「堅実さ」とは何でしょうか。それは、すでに聞いて知っているみことばを文字通りに信じて受け入れることです。みことばだけを土台とした生活、生き方です。考えや行動のすべての基準がみことばにある生き方です。「みことばに信頼して生きていけば大丈夫なんだ。みことばの通りに生きていけば、必ず祝福される、幸せに生きられる、成功する」という主に対する確信が、私たちが持つべき堅実さではないでしょうか。
 

守るべきもの「信仰」

 その堅実さを失わないよう、「よく気をつけなさい」と言っています。「気をつける」とは、ここでは「守る」という意味です。私たちは、健康を守ること、家族を守ること、生活を守ることなど、守るべきものがありますが、箴言のみことばに、「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。(箴言4:23)」とあるように、それ以上に私たちが守るべきものは私たちの心です。心が守られることほど大切なことはありません。しかし、主を信じる者にとってそれ以上に一番大切な守るべきものは、「信仰」です。信仰は、私たちが勝ち得たものではなく、神から与えられた賜物、プレゼントです。そしてそれは、「良いもの、価値あるもの」です。また神が私たちにゆだねられたものです。ですから私たちは、その神から与えられた信仰を持って生きていかなくてはなりません。これを決して手放してはなりません。信仰は管です。信仰を通して神は働かれ、みわざをなされます。豊かな恵みが注がれます。みことばに堅く立つ、その信仰をなくさないように、よく気をつけなくてはなりません。
 

信仰がなくなると揺れ動いてしまう

 私たちは、いつも信仰によって生活をしていないと、それは、私たちが気がつかないレベルで徐々に後退して行きます。信仰をなくし、信仰から離れてしまうと、みこころが何であるのかがわからなくなり、霊的に鈍感になってしまいます。人の意見やこの世の価値観に無意識のうちに流されてしまいます。神様に対しても疑いが生じて、いつも心は定まらず、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと揺れ動いてしまいます。ですから、是が非でも、神から与えられた信仰を手放してはなりません。守らなければなりません。
 

信仰は祈りによって守られる

 信仰を守るために私たちが一番するべきことは、祈りです。祈ることによって、たとえ間違った考え、悪い考えを持っていたとしても、主が必ず正しい方向に導いてくださいます。そして、祈ることによって、だんだんと心にある不安や思い煩いは取り去られて行き、愛する気力、働くやる気が湧いてきます。また祈ることによって、自分の感情や人の言葉に左右されることがなくなります。祈ることによって、今日一日の仕事、勉強に備えることができます。みことばの真理に堅く立ち続けて歩んでまいりましょう。(岩下 栄作)
 


 

リトリートハウス 駐車場工事

 先週、リトリートハウスの、駐車場の工事が行われました。出入口のスロープは、単管と材木を使って組み立てられました。材木を塗装し、材木と単管を結合して、スロープは完成しました。また、水はけを良くするために、駐車場の周囲の溝掘りをしました。駐車場の整備は、まだ続きます。お祈りください。