週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

25.10.05 盛大な宴会のたとえ


 
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2025.10.05週報.pdf
 
「ルカ14:23-24 すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません。』」
 

招待されることは喜び

 10月に入り日ごとに秋らしさが増すこの頃です。先月下旬には洗礼式が行われて、三名の姉妹たちが受洗されました。お祝いの愛餐会では、喜びのうちに兄弟姉妹と食事をともにし、楽しい交わりの時を過ごすことができました。心より神様に感謝いたします。
 祝宴に招かれることはうれしいことです。愛餐会や婚宴のような特別な祝宴に、「ぜひ、おいでください」と招待されたら、多くの人は喜んで万障繰り合わせて出席するのではないでしょうか。
 

盛大な宴会のたとえ

 ところが、冒頭のイエス様のたとえ話には、せっかく祝宴に招待されたのに、それを断った人々が出てきます。
 「ある人が、盛大な宴会を催し、たくさんの人を招待しました。当日準備ができたので、しもべを遣わして知らせに行くと、招待された人は、いろいろと言い訳をして断り始めました。ある人は「買った土地を見に行くので」、ある人は「買った牛を試しに行くので」、ある人は「結婚したので」と言いました。彼らは本音では行きたくなかったのです。主人は怒って、貧しい人々や体の不自由な人々を招待するようにしもべに命じました。ところがそれでも席がいっぱいにならなかったので、主人は、誰でもいいから無理にでも呼びに行って席をいっぱいにするように命じました。」
 このたとえ話で、「ある人」は神様、初めに招待された人々はユダヤ人の指導者たち、二番目に招待されたのは、取税人など罪人と言われていた人々、最後に招待されたのは、異邦人(外国人)です。そして、「盛大な宴会」は神の国の祝宴、つまり「福音への招き」のことです。このたとえは、「自分たちこそが神の国に入ることができるのだ」と高ぶっていたユダヤ人指導者たちへの警告でした。彼らがイエス様が救い主であることを信じなかったからです。
 

神様との交わりを最優先にする

 このたとえの中で、初めに招かれた人々は、仕事や財産や家族のことで言い訳をして招待を断りました。それは今日でも、福音を聞いた人が示す反応だと思います。多くの人は、真理を求めることよりも目の前にある問題や関心事を最優先にして生きています。
 ところで、神様の招きに応答して救われた私たちも、日常生活の中で、神の国を求めるよりもほかのものを優先していることがありませんでしょうか。たとえば、仕事や勉強で行き詰まる時、健康がすぐれない時、家族に問題があるときに、まず神様に助けを求めることをしないで、焦って人に相談したり、ネットの情報に頼ったり、あるいはいつまでも一人で思い悩んでいることはないでしょうか。私たちは神様と一緒に食卓に着いて交わりができる(祈ることができる)特権を手にしています。神様との交わりの中にこそ、すべての問題の解決があることを覚えなければなりません。
 

神の国の宴会に人々を招く

 そして私たちは、私たちの愛する家族や知人を、神様の食卓に招き続けなければなりません。神様の願いはすべての人の救いです。福音の働きに用いられましょう。(鈴木千史)
 


 

おにぎりご奉仕感謝

 毎週日曜日のお昼には、ママズのご奉仕によっておにぎりが販売されています。美味しいできたてのおにぎりがどのように作られているのか、メンバーに聞いてみました。「作業は分担が決まっていて、奉仕者はあちこち動かないで、一つの場所にいたまま作業ができるので、素早く作ることができます。最近では皆慣れてきて、礼拝が終わってから20分くらいで販売できます。」と話しておられました。兄弟姉妹がコイノニアルームに集まってくるよりも早く完成することもあるそうです。
 教会の交わりを支えてくださるご奉仕を主に感謝します。ママズの働きのためにお祈りください。

(25.9.28撮影)

25.10.05 盛大な宴会のたとえ
 


 
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「ルカ14:23-24 すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません。』」
 

招待されることは喜び

 10月に入り日ごとに秋らしさが増すこの頃です。先月下旬には洗礼式が行われて、三名の姉妹たちが受洗されました。お祝いの愛餐会では、喜びのうちに兄弟姉妹と食事をともにし、楽しい交わりの時を過ごすことができました。心より神様に感謝いたします。
 祝宴に招かれることはうれしいことです。愛餐会や婚宴のような特別な祝宴に、「ぜひ、おいでください」と招待されたら、多くの人は喜んで万障繰り合わせて出席するのではないでしょうか。
 

盛大な宴会のたとえ

 ところが、冒頭のイエス様のたとえ話には、せっかく祝宴に招待されたのに、それを断った人々が出てきます。
 「ある人が、盛大な宴会を催し、たくさんの人を招待しました。当日準備ができたので、しもべを遣わして知らせに行くと、招待された人は、いろいろと言い訳をして断り始めました。ある人は「買った土地を見に行くので」、ある人は「買った牛を試しに行くので」、ある人は「結婚したので」と言いました。彼らは本音では行きたくなかったのです。主人は怒って、貧しい人々や体の不自由な人々を招待するようにしもべに命じました。ところがそれでも席がいっぱいにならなかったので、主人は、誰でもいいから無理にでも呼びに行って席をいっぱいにするように命じました。」
 このたとえ話で、「ある人」は神様、初めに招待された人々はユダヤ人の指導者たち、二番目に招待されたのは、取税人など罪人と言われていた人々、最後に招待されたのは、異邦人(外国人)です。そして、「盛大な宴会」は神の国の祝宴、つまり「福音への招き」のことです。このたとえは、「自分たちこそが神の国に入ることができるのだ」と高ぶっていたユダヤ人指導者たちへの警告でした。彼らがイエス様が救い主であることを信じなかったからです。
 

神様との交わりを最優先にする

 このたとえの中で、初めに招かれた人々は、仕事や財産や家族のことで言い訳をして招待を断りました。それは今日でも、福音を聞いた人が示す反応だと思います。多くの人は、真理を求めることよりも目の前にある問題や関心事を最優先にして生きています。
 ところで、神様の招きに応答して救われた私たちも、日常生活の中で、神の国を求めるよりもほかのものを優先していることがありませんでしょうか。たとえば、仕事や勉強で行き詰まる時、健康がすぐれない時、家族に問題があるときに、まず神様に助けを求めることをしないで、焦って人に相談したり、ネットの情報に頼ったり、あるいはいつまでも一人で思い悩んでいることはないでしょうか。私たちは神様と一緒に食卓に着いて交わりができる(祈ることができる)特権を手にしています。神様との交わりの中にこそ、すべての問題の解決があることを覚えなければなりません。
 

神の国の宴会に人々を招く

 そして私たちは、私たちの愛する家族や知人を、神様の食卓に招き続けなければなりません。神様の願いはすべての人の救いです。福音の働きに用いられましょう。(鈴木千史)
 


 

おにぎりご奉仕感謝

 毎週日曜日のお昼には、ママズのご奉仕によっておにぎりが販売されています。美味しいできたてのおにぎりがどのように作られているのか、メンバーに聞いてみました。「作業は分担が決まっていて、奉仕者はあちこち動かないで、一つの場所にいたまま作業ができるので、素早く作ることができます。最近では皆慣れてきて、礼拝が終わってから20分くらいで販売できます。」と話しておられました。兄弟姉妹がコイノニアルームに集まってくるよりも早く完成することもあるそうです。
 教会の交わりを支えてくださるご奉仕を主に感謝します。ママズの働きのためにお祈りください。

(25.9.28撮影)