週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

26.6.21 平安


 
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2026.6.21 週報.pdf
 
「イザヤ26:3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」
 

「平安がほしい」

 人はみな、平和を求め、平安でいられることを求めています。「いつも心穏やかでいられたらどれほどいいだろうか」と思います。イエス様に出会う前の私がそうでした。いつも心の中は忙しく騒いでおり、「自分は人からどう思われているだろうか」「また失敗して怒られるんじゃないだろうか」そんな自分を壊す否定的な声に押しつぶされていました。できる自分、周りから尊敬される人になること、多くの収入を得て豊かになることによって、心にゆとりが持てるようになれると思っていました。しかし何をしてみても、一時的には平安になれたとしても、長続きしませんし、目にみえる状況にいつも左右されてしまいます。
 本当の平安は、私たちの努力や行いによって得られるものではありませんし、いくら平安でありたいと願って、それを得ようとして得られるものではありません。
 

全き平安は神から来る

 本当の平安は、神から与えられます。神は、全き平安であられるお方です。イエス様が、弟子たちと舟に乗って向こう岸へ渡ろうとしていた時、激しい突風が起こり、舟が沈みそうになりました。弟子たちは大慌てでイエス様の所に行きましたが、イエス様は舟のともの方で眠っておられました。イエス様は起き上がり、風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われると、波は静まりました。イエス様は、嵐が吹き荒れる中にあっても全く揺れ動くことなく、平安でありました。いつも、父のなされることにゆだねておられました。
 私たちは、安心できる状況になれば平安になれる、と考えるかもしれませんが、神の平安は、起きている出来事や目に見える状況に全く左右されることがなく、どんな状況の中にあっても、揺るがされることがないものです。
 

主に信頼することを通して与えられる

 その神の全き平安は、どのようにして与えられるのでしょうか。それは、主にゆだね、信頼することを通して与えられます。「志の堅固な者」それは、どんなことがあろうとも、「主が必ず私を守ってくださる」と主により頼む人です。主にゆだね、信頼することは、自分の力で、人や起きている状況を変えようとする思いを手放して、神がなされることにお任せすることです。
 たとえば、「ああ、時間がない。間に合うだろうか」と思う時に、この先どのようにして事が導かれて行くのかを、主にお任せします。人が自分に対して思いもよらない反応や態度を取る時に、そのことを主にゆだねます。相手がどのように反応しようとも、そのことで主を喜んで、主がなされる善きことに信頼することです。その時、平安が与えられます。落ち着いてその状況を見て、行動することができます。心に次から次へと湧き上がって来る思いから目を背けないで、自分の思いに素直になって、それら一つ一つを主にゆだねる時、平安が与えられます。
 

全き平安を得ることができる

 私は、神様と出会い、みことばとともに過ごすことを通して、「ここに本当の平安がある」と知りました。今でも不安や心配がやって来ますし、恐れるような状況もありますが、「主に信頼するなら守られる」と知っているので平安です。
 本当の平安は、神様にあります。私たちは、主に信頼することを通して、全き平安を得ることができます。どのような時にも、主に信頼してまいりましょう。(岩下 栄作)
 


 

キッチン照明 取り付け

 先週、プレヤーハウスキッチンの、照明を取り付ける作業が行われました。
 これまで、キッチンの奥の方が、他のところよりも暗くなっていました。今回、新たに2灯のダウンライトが取り付けられて、以前よりも明るくなり、作業がしやすくなりました。


 

那古野アウトリーチ

 先週、那古野アウトリーチの奉仕者が、7/5(日)に行われる映画上映会のチラシを持って、各担当のエリアに訪問に出かけました。
 以前、バザーやクリスマス集会に来て下さった方や、教会のことは知っておられても、まだ来られたことのない方、初めて会って話をすることができた方など、おられました。
 映画上映会の祝福のために、那古野アウトリーチの働きのために、お祈りください。

26.6.21 平安
 


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「イザヤ26:3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」
 

「平安がほしい」

 人はみな、平和を求め、平安でいられることを求めています。「いつも心穏やかでいられたらどれほどいいだろうか」と思います。イエス様に出会う前の私がそうでした。いつも心の中は忙しく騒いでおり、「自分は人からどう思われているだろうか」「また失敗して怒られるんじゃないだろうか」そんな自分を壊す否定的な声に押しつぶされていました。できる自分、周りから尊敬される人になること、多くの収入を得て豊かになることによって、心にゆとりが持てるようになれると思っていました。しかし何をしてみても、一時的には平安になれたとしても、長続きしませんし、目にみえる状況にいつも左右されてしまいます。
 本当の平安は、私たちの努力や行いによって得られるものではありませんし、いくら平安でありたいと願って、それを得ようとして得られるものではありません。
 

全き平安は神から来る

 本当の平安は、神から与えられます。神は、全き平安であられるお方です。イエス様が、弟子たちと舟に乗って向こう岸へ渡ろうとしていた時、激しい突風が起こり、舟が沈みそうになりました。弟子たちは大慌てでイエス様の所に行きましたが、イエス様は舟のともの方で眠っておられました。イエス様は起き上がり、風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われると、波は静まりました。イエス様は、嵐が吹き荒れる中にあっても全く揺れ動くことなく、平安でありました。いつも、父のなされることにゆだねておられました。
 私たちは、安心できる状況になれば平安になれる、と考えるかもしれませんが、神の平安は、起きている出来事や目に見える状況に全く左右されることがなく、どんな状況の中にあっても、揺るがされることがないものです。
 

主に信頼することを通して与えられる

 その神の全き平安は、どのようにして与えられるのでしょうか。それは、主にゆだね、信頼することを通して与えられます。「志の堅固な者」それは、どんなことがあろうとも、「主が必ず私を守ってくださる」と主により頼む人です。主にゆだね、信頼することは、自分の力で、人や起きている状況を変えようとする思いを手放して、神がなされることにお任せすることです。
 たとえば、「ああ、時間がない。間に合うだろうか」と思う時に、この先どのようにして事が導かれて行くのかを、主にお任せします。人が自分に対して思いもよらない反応や態度を取る時に、そのことを主にゆだねます。相手がどのように反応しようとも、そのことで主を喜んで、主がなされる善きことに信頼することです。その時、平安が与えられます。落ち着いてその状況を見て、行動することができます。心に次から次へと湧き上がって来る思いから目を背けないで、自分の思いに素直になって、それら一つ一つを主にゆだねる時、平安が与えられます。
 

全き平安を得ることができる

 私は、神様と出会い、みことばとともに過ごすことを通して、「ここに本当の平安がある」と知りました。今でも不安や心配がやって来ますし、恐れるような状況もありますが、「主に信頼するなら守られる」と知っているので平安です。
 本当の平安は、神様にあります。私たちは、主に信頼することを通して、全き平安を得ることができます。どのような時にも、主に信頼してまいりましょう。(岩下 栄作)
 


 

キッチン照明 取り付け

 先週、プレヤーハウスキッチンの、照明を取り付ける作業が行われました。
 これまで、キッチンの奥の方が、他のところよりも暗くなっていました。今回、新たに2灯のダウンライトが取り付けられて、以前よりも明るくなり、作業がしやすくなりました。


 

那古野アウトリーチ

 先週、那古野アウトリーチの奉仕者が、7/5(日)に行われる映画上映会のチラシを持って、各担当のエリアに訪問に出かけました。
 以前、バザーやクリスマス集会に来て下さった方や、教会のことは知っておられても、まだ来られたことのない方、初めて会って話をすることができた方など、おられました。
 映画上映会の祝福のために、那古野アウトリーチの働きのために、お祈りください。