週報(主の御手)LORD'S HANDS

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LORD'S HANDS

25.06.29 借金とゆるしのたとえ


 
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2025.06.29週報.pdf
 
「ルカ7:42-43 それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。』シモンが『より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います』と答えると、イエスは『あなたの判断は正しい』と言われた。」
 

感謝の贈り物

 以前、勤めていた学校の卒業式の日に、顧問をしていた合唱部の卒業生のお母さんから贈り物をいただいたことがありました。思いがけないことで恐縮していると、お母さんはしきりに頭を下げて、「本当に娘がお世話になりました」と何度も言われていました。小柄でおとなしい生徒でした。教師は毎日生徒と生活するのが仕事で、特別なことをしたつもりはないのですが、お母さんにしてみれば、わが子が、3年間楽しく学校に通い通し、卒業の日を迎えられた感謝を何かであらわしたかったのだろうと思いました。その贈り物は、かわいらしい和柄のポーチと小さい鏡のセットでしたが、今も見るたびに思い出すできごとです。
 

借金とゆるしのたとえ

 イエス様は、ご自分に敵対するパリサイ人のシモンに食事に招かれ、出かけられました。するとそこに罪深い女が入って来て、イエス様の足元に近寄り、イエス様の足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐうと、その足に口付けし香油を塗りました。シモンは心の中で、女に対する嫌悪感や、女になすがままにさせるイエス様への批判をつぶやきました。するとイエス様はシモンの心を見抜き、たとえ話をされました。
 「ある金貸しから、二人の人が、一人は50デナリ、もう一人は500デナリ借りていました。二人とも返すことができなかったので、金貸しは二人の借金を帳消しにしました。どちらが多く金貸しを愛するでしょうか。」(ルカ7:41-42)というたとえ話です。シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われました。このたとえで、金貸しは神様、二人の人は私たち人間、借金は罪です。
 

心の状態があらわれる

 たとえ話の後、イエス様は、ご自分がこの家に来た時、シモンがイエス様の足を洗うことも、頭に油を塗ることも、口づけもしなかったことを指摘されました。当時の風習から考えると、それは本当にはイエス様を歓迎していない彼の心の状態のあらわれでした。一方彼とは正反対の、女の勇気ある愛の行動は、罪赦された者の感謝と愛のあらわれでした。イエス様は、「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。(同47節)」と言われました。イエス様は、罪の自覚が薄く、「自分はそれほど悪くない」と考えているシモンの問題を指摘されたのです。
 

罪深さの自覚が大切

 自分の罪深さがよくわかっている人は、イエス・キリストを信じて罪赦されたとき、「もうこれで大丈夫だ」と、重荷が取り去られた喜びと感謝に満ちあふれたと思います。そしてその一時だけでなく、今もなお、赦しの恵みの中で、感謝と喜びをあらわして生きている人です。言われなくても、たとえ止められても、喜んで礼拝や学びに集い、喜んで献げ、喜んで人を愛そうとする人です。
 イエス様は、罪深い女に「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。(同50節)」と言われました。自分の罪深さを自覚している人は、神様との愛の関係の中で、安心して歩んで行くことができます。(鈴木千史)
 
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リトリートハウスご奉仕感謝
 先週の火曜日に、リトリートハウスでキャンプ準備のご奉仕がありました。この日は特に、テントサイトの準備が行われました。雨を避けて快適に宿泊できるように、大きなテントの下に宿泊用のテントを設営し、側面に日よけのタープを取りつける試みが行われました。また、田んぼにもテントが設営できるように、木材を並べてウッドデッキ風のテントサイトを試作しました。
 時折雨が降る中で、奉仕者は終日喜んで作業し、また交わりを楽しんでいました。主にあるご奉仕を感謝します。

25.06.29 借金とゆるしのたとえ
 


 
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「ルカ7:42-43 それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。』シモンが『より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います』と答えると、イエスは『あなたの判断は正しい』と言われた。」
 

感謝の贈り物

 以前、勤めていた学校の卒業式の日に、顧問をしていた合唱部の卒業生のお母さんから贈り物をいただいたことがありました。思いがけないことで恐縮していると、お母さんはしきりに頭を下げて、「本当に娘がお世話になりました」と何度も言われていました。小柄でおとなしい生徒でした。教師は毎日生徒と生活するのが仕事で、特別なことをしたつもりはないのですが、お母さんにしてみれば、わが子が、3年間楽しく学校に通い通し、卒業の日を迎えられた感謝を何かであらわしたかったのだろうと思いました。その贈り物は、かわいらしい和柄のポーチと小さい鏡のセットでしたが、今も見るたびに思い出すできごとです。
 

借金とゆるしのたとえ

 イエス様は、ご自分に敵対するパリサイ人のシモンに食事に招かれ、出かけられました。するとそこに罪深い女が入って来て、イエス様の足元に近寄り、イエス様の足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐうと、その足に口付けし香油を塗りました。シモンは心の中で、女に対する嫌悪感や、女になすがままにさせるイエス様への批判をつぶやきました。するとイエス様はシモンの心を見抜き、たとえ話をされました。
 「ある金貸しから、二人の人が、一人は50デナリ、もう一人は500デナリ借りていました。二人とも返すことができなかったので、金貸しは二人の借金を帳消しにしました。どちらが多く金貸しを愛するでしょうか。」(ルカ7:41-42)というたとえ話です。シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われました。このたとえで、金貸しは神様、二人の人は私たち人間、借金は罪です。
 

心の状態があらわれる

 たとえ話の後、イエス様は、ご自分がこの家に来た時、シモンがイエス様の足を洗うことも、頭に油を塗ることも、口づけもしなかったことを指摘されました。当時の風習から考えると、それは本当にはイエス様を歓迎していない彼の心の状態のあらわれでした。一方彼とは正反対の、女の勇気ある愛の行動は、罪赦された者の感謝と愛のあらわれでした。イエス様は、「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。(同47節)」と言われました。イエス様は、罪の自覚が薄く、「自分はそれほど悪くない」と考えているシモンの問題を指摘されたのです。
 

罪深さの自覚が大切

 自分の罪深さがよくわかっている人は、イエス・キリストを信じて罪赦されたとき、「もうこれで大丈夫だ」と、重荷が取り去られた喜びと感謝に満ちあふれたと思います。そしてその一時だけでなく、今もなお、赦しの恵みの中で、感謝と喜びをあらわして生きている人です。言われなくても、たとえ止められても、喜んで礼拝や学びに集い、喜んで献げ、喜んで人を愛そうとする人です。
 イエス様は、罪深い女に「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。(同50節)」と言われました。自分の罪深さを自覚している人は、神様との愛の関係の中で、安心して歩んで行くことができます。(鈴木千史)
 
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リトリートハウスご奉仕感謝
 先週の火曜日に、リトリートハウスでキャンプ準備のご奉仕がありました。この日は特に、テントサイトの準備が行われました。雨を避けて快適に宿泊できるように、大きなテントの下に宿泊用のテントを設営し、側面に日よけのタープを取りつける試みが行われました。また、田んぼにもテントが設営できるように、木材を並べてウッドデッキ風のテントサイトを試作しました。
 時折雨が降る中で、奉仕者は終日喜んで作業し、また交わりを楽しんでいました。主にあるご奉仕を感謝します。