26.2.15 とりなしてくださる主
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2026.2.15 週報.pdf
「ルカ22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」
イエス様のとりなし
イエス様は、いつも「あなたのために、あなたの信仰がなくならないように」祈ってくださっておられます。「とりなし」は、罪ある者のために、神とその人との間に立って、神に弁護をして助けることです。
私たちは、生まれながらにして神に背き、神を認めないで生きてきました。これを罪と言います。人はその罪の償いを、善行を積み重ねたりする人間の努力によって果たすことはできません。罪は死を持って償われなければなりません。しかし神は、私たちを愛しておられるがゆえに、私たちが死んで滅びゆくのをとても悲しまれます。そこで御子イエス・キリストによって救いの道を開いてくださいました。イエス様は十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)」と祈られました。それは、「わたしは、あなたが罪を犯したので、こんなにも苦しんでいます。しかし、わたしはあなたが犯したすべての罪の罰を、あなたには負わせません。わたしは、父に、『彼の罪の罰はすべてわたしが負います。ですから彼をお赦しください』と祈りました」というとりなしの祈りでした。十字架の上で血を流され、苦しみの極限状態を経験されたあの苦しみは、本来私たちが受けなければならない苦しみでした。私たちは、自分が十字架にかけられた姿を想像できるでしょうか。とても耐えられない苦しみです。神は、あなたが本来受けなければならない罪の罰を、御子キリストに負わせて、あなたが受けないで済むようにしてくださいました。イエス様のとりなしがあって、私たちは罪赦され、救われていることを感謝します。
今もずっと とりなして祈っておられる
そしてイエス様は、今もなお、天において私たちのために神にとりなして祈ってくださっておられます。たとえば、疲れ果てて、何もやることが手につかず、考えることすら嫌になるような、気落ちする状況の中で、イエス様は、「わたしはあなたのその弱さ、苦しみをすべて知っている。わたしは、あなたが今抱えているその負いきれない重荷を、あなたの代わりに負います。あなたに信仰が与えられて、立ち上がり、助けてもらうことができるように、神に祈りました。だからもう心配しないで、安心して行きなさい。今やるべきことをしなさい」と、とりなして祈ってくださいます。
「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」
「イエス様は、私が自分で負いきれない重荷をすべて負ってくださって助けてくださるのだ」と、イエス様がとりなしてくださっていることを知る時、私たちは、慰められ、励まされ、勇気が与えられて、立ち直ることが出来ます。
そうなってはじめて私たちは、周りで、自分が苦しんでいたのと同じように苦しんでいる人がいる時に、その人が何で苦しんでいるのか、その思いを理解してあげることができるようになります。そして、その人と神様との間に立って、その人がイエス・キリストに導かれるように祈ることができるようになります。
私たちは、周りの人をキリストに導くために召されています。「私はいつも、イエス様のとりなしによって、信仰が守られ、支えられているのだ」と覚えて過ごしてまいりましょう。(岩下 栄作)
PA(音響映像)奉仕者のミーティング
毎回の礼拝後に、PAの奉仕者ミーティングが行われています。その日の礼拝で起きた問題、課題を共有して、どう対応していくのかを話し合っています。
楽器やマイクの、音のバランスが良くなかったり、機器の不具合が起こる、などの問題が起こります。問題が起きたらすぐにミーティングの場で共有することで、素早く対応することができるようになっています。
礼拝が祝福され、恵まれるためには、PAの奉仕者が、音響、映像、照明などの機器の取り扱い、操作に熟練していることが求められます。しかし何よりも、奉仕者がまず礼拝者として、礼拝を第一にする姿勢を持って仕えることが求められています。PA奉仕者のためにお祈りください。
26.2.15 とりなしてくださる主
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「ルカ22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」
イエス様のとりなし
イエス様は、いつも「あなたのために、あなたの信仰がなくならないように」祈ってくださっておられます。「とりなし」は、罪ある者のために、神とその人との間に立って、神に弁護をして助けることです。
私たちは、生まれながらにして神に背き、神を認めないで生きてきました。これを罪と言います。人はその罪の償いを、善行を積み重ねたりする人間の努力によって果たすことはできません。罪は死を持って償われなければなりません。しかし神は、私たちを愛しておられるがゆえに、私たちが死んで滅びゆくのをとても悲しまれます。そこで御子イエス・キリストによって救いの道を開いてくださいました。イエス様は十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)」と祈られました。それは、「わたしは、あなたが罪を犯したので、こんなにも苦しんでいます。しかし、わたしはあなたが犯したすべての罪の罰を、あなたには負わせません。わたしは、父に、『彼の罪の罰はすべてわたしが負います。ですから彼をお赦しください』と祈りました」というとりなしの祈りでした。十字架の上で血を流され、苦しみの極限状態を経験されたあの苦しみは、本来私たちが受けなければならない苦しみでした。私たちは、自分が十字架にかけられた姿を想像できるでしょうか。とても耐えられない苦しみです。神は、あなたが本来受けなければならない罪の罰を、御子キリストに負わせて、あなたが受けないで済むようにしてくださいました。イエス様のとりなしがあって、私たちは罪赦され、救われていることを感謝します。
今もずっと とりなして祈っておられる
そしてイエス様は、今もなお、天において私たちのために神にとりなして祈ってくださっておられます。たとえば、疲れ果てて、何もやることが手につかず、考えることすら嫌になるような、気落ちする状況の中で、イエス様は、「わたしはあなたのその弱さ、苦しみをすべて知っている。わたしは、あなたが今抱えているその負いきれない重荷を、あなたの代わりに負います。あなたに信仰が与えられて、立ち上がり、助けてもらうことができるように、神に祈りました。だからもう心配しないで、安心して行きなさい。今やるべきことをしなさい」と、とりなして祈ってくださいます。
「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」
「イエス様は、私が自分で負いきれない重荷をすべて負ってくださって助けてくださるのだ」と、イエス様がとりなしてくださっていることを知る時、私たちは、慰められ、励まされ、勇気が与えられて、立ち直ることが出来ます。
そうなってはじめて私たちは、周りで、自分が苦しんでいたのと同じように苦しんでいる人がいる時に、その人が何で苦しんでいるのか、その思いを理解してあげることができるようになります。そして、その人と神様との間に立って、その人がイエス・キリストに導かれるように祈ることができるようになります。
私たちは、周りの人をキリストに導くために召されています。「私はいつも、イエス様のとりなしによって、信仰が守られ、支えられているのだ」と覚えて過ごしてまいりましょう。(岩下 栄作)
PA(音響映像)奉仕者のミーティング
毎回の礼拝後に、PAの奉仕者ミーティングが行われています。その日の礼拝で起きた問題、課題を共有して、どう対応していくのかを話し合っています。
楽器やマイクの、音のバランスが良くなかったり、機器の不具合が起こる、などの問題が起こります。問題が起きたらすぐにミーティングの場で共有することで、素早く対応することができるようになっています。
礼拝が祝福され、恵まれるためには、PAの奉仕者が、音響、映像、照明などの機器の取り扱い、操作に熟練していることが求められます。しかし何よりも、奉仕者がまず礼拝者として、礼拝を第一にする姿勢を持って仕えることが求められています。PA奉仕者のためにお祈りください。