週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

25.03.30 恵みによる生き方


 
↓こちらをクリックすると週報全文を閲覧できます。
2025.03.30週報.pdf
 
「エペソ2:8-9 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
 

恵みによって救われた

 聖書は、救いは神の恵みによってであると教えています。
恵みは、神が私たちに、ただで与えてくださる祝福のことです。私たちのどのような良い行い、素晴らしい功績もその救いの条件とはなりません。もしそうだとしたら、救いは人間の努力によって勝ち取ることができるものとなってしまい、恵みではなくなります。それは人間の自己中心に過ぎませんし、救いを得た人は自分を誇ることになります。私たちは、神の恵みによって救われました。
 

恵みに信仰によって応答する

 では、救われた私たちが、日々神の恵みによって生きるためには、どうすれば良いのでしょうか。恵みによる生き方は、神の恵みに私たちが信仰によって応答する生き方です。私たちが、ただ礼拝に参加し、聖書を読み、奉仕をし、献金をして、神の言われることを守っていれば、神が私たちの良い行いをご覧になって恵みを与えてくださるのではありません。神は人を通して働かれ、ご自身の栄光を現されます。私たちは、救われたあの時、主のふところに思い切って飛び込んで行ったように、今も毎日、神が与えてくださる恵みに信仰を持って応答しなくてはなりません。
 たとえば、神は私たちに平安を与えたいと願っておられます。私たちも平安でいたいと願います。しかし、私たちの心はいつも騒いでいたりします。「あの人は私のことをどう思っているだろうか」「また仕事で失敗してしまわないだろうか」と、人の態度や反応が気になって仕方がありません。その中で私たちは自分や周りのことばかりを見ているのではなく、主を見上げなければなりません。主は「あなたの重荷をわたしにゆだねなさい」と語られます。そして私たちが、神がなさろうとしておられることに信頼し、「相手がどんな反応をしようとも、それもまた、あなたのなされることですので、あなたのなされることにすべてお任せします。私は相手の反応を嫌がりません。」と信仰によって応答する時、神はその信仰を管として働かれ、恵みを注いでくださいます。神が、私たちに全き平安を与えてくださいます。
 

神の恵みを無駄にしていないだろうか

 反対に、行いによる生き方は、自分が良い行いをすることによって自分が正しくあることができる、神の基準に到達できると考える生き方です。たとえば人の反応を恐れる時、乱れている心を落ち着かせようと自分に言い聞かせたり、「相手が良い反応をしてくれるためには、どうしたら良いだろうか」と、自分なりの考えや知恵によって対処しようとします。そして平安になれた時、あなたは嬉しくなるかもしれません。しかしまたすぐに心がかき乱されます。良い行いをすることによって正しくあろう、できる自分になって神に受け入れられようとします。しかしそれは、神が、律法の戒めを守れない、良い行いが出来ないあなたのためにしてくださった、十字架のあがないの恵みを無駄にしていることです。
 

恵みに応えたいからする

 神の恵みによって生きる私たちは、もはや神に受け入れられるために良い行いをするのではなく、神の恵みを知ったので、「恵みに応答したい、神が言われることを喜んでさせていただきたい」と、心に自然と湧き上がってくる神様への感謝の思いから良い行いをするようになります。神の豊かな恵みを経験してまいりましょう。(岩下 栄作)
 


 

DVD貸し出し

 プレヤーハウス2階の書庫に、貸出用のDVDがありますが、今回新たに6本加わりました。他にも、信仰書、絵本、辞典、CDなども借りることができます。貸出表に名前と返却日を記入すれば、いつでも借りることができます。

25.03.30 恵みによる生き方
 


 
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「エペソ2:8-9 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
 

恵みによって救われた

 聖書は、救いは神の恵みによってであると教えています。
恵みは、神が私たちに、ただで与えてくださる祝福のことです。私たちのどのような良い行い、素晴らしい功績もその救いの条件とはなりません。もしそうだとしたら、救いは人間の努力によって勝ち取ることができるものとなってしまい、恵みではなくなります。それは人間の自己中心に過ぎませんし、救いを得た人は自分を誇ることになります。私たちは、神の恵みによって救われました。
 

恵みに信仰によって応答する

 では、救われた私たちが、日々神の恵みによって生きるためには、どうすれば良いのでしょうか。恵みによる生き方は、神の恵みに私たちが信仰によって応答する生き方です。私たちが、ただ礼拝に参加し、聖書を読み、奉仕をし、献金をして、神の言われることを守っていれば、神が私たちの良い行いをご覧になって恵みを与えてくださるのではありません。神は人を通して働かれ、ご自身の栄光を現されます。私たちは、救われたあの時、主のふところに思い切って飛び込んで行ったように、今も毎日、神が与えてくださる恵みに信仰を持って応答しなくてはなりません。
 たとえば、神は私たちに平安を与えたいと願っておられます。私たちも平安でいたいと願います。しかし、私たちの心はいつも騒いでいたりします。「あの人は私のことをどう思っているだろうか」「また仕事で失敗してしまわないだろうか」と、人の態度や反応が気になって仕方がありません。その中で私たちは自分や周りのことばかりを見ているのではなく、主を見上げなければなりません。主は「あなたの重荷をわたしにゆだねなさい」と語られます。そして私たちが、神がなさろうとしておられることに信頼し、「相手がどんな反応をしようとも、それもまた、あなたのなされることですので、あなたのなされることにすべてお任せします。私は相手の反応を嫌がりません。」と信仰によって応答する時、神はその信仰を管として働かれ、恵みを注いでくださいます。神が、私たちに全き平安を与えてくださいます。
 

神の恵みを無駄にしていないだろうか

 反対に、行いによる生き方は、自分が良い行いをすることによって自分が正しくあることができる、神の基準に到達できると考える生き方です。たとえば人の反応を恐れる時、乱れている心を落ち着かせようと自分に言い聞かせたり、「相手が良い反応をしてくれるためには、どうしたら良いだろうか」と、自分なりの考えや知恵によって対処しようとします。そして平安になれた時、あなたは嬉しくなるかもしれません。しかしまたすぐに心がかき乱されます。良い行いをすることによって正しくあろう、できる自分になって神に受け入れられようとします。しかしそれは、神が、律法の戒めを守れない、良い行いが出来ないあなたのためにしてくださった、十字架のあがないの恵みを無駄にしていることです。
 

恵みに応えたいからする

 神の恵みによって生きる私たちは、もはや神に受け入れられるために良い行いをするのではなく、神の恵みを知ったので、「恵みに応答したい、神が言われることを喜んでさせていただきたい」と、心に自然と湧き上がってくる神様への感謝の思いから良い行いをするようになります。神の豊かな恵みを経験してまいりましょう。(岩下 栄作)
 


 

DVD貸し出し

 プレヤーハウス2階の書庫に、貸出用のDVDがありますが、今回新たに6本加わりました。他にも、信仰書、絵本、辞典、CDなども借りることができます。貸出表に名前と返却日を記入すれば、いつでも借りることができます。