25.09.14 死の恐れからの解放

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2025.09.14週報.pdf
「ヘブル2:14-15 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」
人は死を恐れる
「死んだ後、私はどこへ行くのか」この問いに対して、明確に答えられる人は少ないのではないでしょうか。誰にでもいつかは訪れる死、人は、この避けて通ることのできない死を恐れます。それは、死についての理解がなく、死後自分はどうなるのか、そのことがよくわかっていないからです。誰一人として、自分の寿命を一日でも伸ばすことも縮めることもできません。どれだけ医療の技術が進歩したとしても、死という現実を前にして、人間は本当に無力な者です。
人間は、見える形の肉体と見えない霊とで存在していますが、その肉体と霊とが切り離される瞬間が死です。聖書に、「土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。(伝道者12:7)」とありますが、朽ちて行く肉体は土に帰り、そして霊は、朽ちることなく神の御手の中に帰って行きます。そして、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27)」と聖書にあるように、すべての人は、死後に神のさばきの座の前に立たされることになります。
死を恐れるのは、罪が原因である
聖書は、人が死を恐れるのは、罪が原因であると言います。最初の人、アダムが神の命令に背いて、罪を犯したために、この世に罪が侵入しました。それから人は、生まれながらに罪人として生まれて来るようになりました。神との関係が断ち切られ、永遠のいのちが失われました。パウロは、死は、罪から来る報酬であると言います。罪を犯した私たちの行く末は、死であり滅びです。罪は償われなくてはなりませんが、私たちがいくら良い行いに励んだとしても、それによって罪が償われることはありません。神は、私たちが罪ゆえに滅んでいくのをとても悲しまれます。私たちの罪のために救いの手を差し伸べてくださったのが、神が人となってくださったイエス・キリストです。
キリストを信じる時、死の恐れから解放される
イエス・キリストは、私たちの罪の罰を身代わりとなって受けてくださるために十字架にかかって死んでくださいました。そして、三日目に死を打ち破ってよみがえられました。このキリストの復活は、罪の報酬である死に対する勝利を意味します。そしてこの復活は、私たちに永遠のいのちを与えるためでした。私たちが、死の恐れから解放される唯一の道は、死に勝利してくださった真の神、イエス・キリストを信じることです。このお方を信じ受け入れる時、あなたは罪から救われます。神とともに永遠に過ごす永遠のいのちが与えられます。それは、この地上での人生と死が終わりではなく、それを超えて、神のみもとに行き、神とともに永遠の時を過ごすことができる新しいいのちです。
絶望が希望に変わる
罪赦され救われたその瞬間から、私たちにとって死は絶望ではなく、希望に変わります。死が終わりではなく、天国に入る出発点となります。生と死を支配しているのは、天地万物のすべてを造られ、またあなたを愛して造られ、この世に生まれさせてくださった真の神様です。イエス・キリストだけが、私たちの唯一の望みです。(岩下 栄作)
リーダーズセル・セル研修
セルグループは、お互いの信仰を建て上げ、人々をキリストに導くことを目的として行われています。聖霊様がリーダーとなって、私たちは建て上げられ、キリストに導かれ、霊的に成長して行くのがセルの働きです。そしてセルの中で人が救われ、そして細胞が分裂し増殖するようにしてセルが分かれ、新たなセルが立ち上がり、新たなリーダーが立てられて行くことが、主のみこころであって、神の国の働きです。セルグループの働きのためにお祈りください。

25.09.14 死の恐れからの解放

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「ヘブル2:14-15 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」
人は死を恐れる
「死んだ後、私はどこへ行くのか」この問いに対して、明確に答えられる人は少ないのではないでしょうか。誰にでもいつかは訪れる死、人は、この避けて通ることのできない死を恐れます。それは、死についての理解がなく、死後自分はどうなるのか、そのことがよくわかっていないからです。誰一人として、自分の寿命を一日でも伸ばすことも縮めることもできません。どれだけ医療の技術が進歩したとしても、死という現実を前にして、人間は本当に無力な者です。
人間は、見える形の肉体と見えない霊とで存在していますが、その肉体と霊とが切り離される瞬間が死です。聖書に、「土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。(伝道者12:7)」とありますが、朽ちて行く肉体は土に帰り、そして霊は、朽ちることなく神の御手の中に帰って行きます。そして、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27)」と聖書にあるように、すべての人は、死後に神のさばきの座の前に立たされることになります。
死を恐れるのは、罪が原因である
聖書は、人が死を恐れるのは、罪が原因であると言います。最初の人、アダムが神の命令に背いて、罪を犯したために、この世に罪が侵入しました。それから人は、生まれながらに罪人として生まれて来るようになりました。神との関係が断ち切られ、永遠のいのちが失われました。パウロは、死は、罪から来る報酬であると言います。罪を犯した私たちの行く末は、死であり滅びです。罪は償われなくてはなりませんが、私たちがいくら良い行いに励んだとしても、それによって罪が償われることはありません。神は、私たちが罪ゆえに滅んでいくのをとても悲しまれます。私たちの罪のために救いの手を差し伸べてくださったのが、神が人となってくださったイエス・キリストです。
キリストを信じる時、死の恐れから解放される
イエス・キリストは、私たちの罪の罰を身代わりとなって受けてくださるために十字架にかかって死んでくださいました。そして、三日目に死を打ち破ってよみがえられました。このキリストの復活は、罪の報酬である死に対する勝利を意味します。そしてこの復活は、私たちに永遠のいのちを与えるためでした。私たちが、死の恐れから解放される唯一の道は、死に勝利してくださった真の神、イエス・キリストを信じることです。このお方を信じ受け入れる時、あなたは罪から救われます。神とともに永遠に過ごす永遠のいのちが与えられます。それは、この地上での人生と死が終わりではなく、それを超えて、神のみもとに行き、神とともに永遠の時を過ごすことができる新しいいのちです。
絶望が希望に変わる
罪赦され救われたその瞬間から、私たちにとって死は絶望ではなく、希望に変わります。死が終わりではなく、天国に入る出発点となります。生と死を支配しているのは、天地万物のすべてを造られ、またあなたを愛して造られ、この世に生まれさせてくださった真の神様です。イエス・キリストだけが、私たちの唯一の望みです。(岩下 栄作)
リーダーズセル・セル研修
セルグループは、お互いの信仰を建て上げ、人々をキリストに導くことを目的として行われています。聖霊様がリーダーとなって、私たちは建て上げられ、キリストに導かれ、霊的に成長して行くのがセルの働きです。そしてセルの中で人が救われ、そして細胞が分裂し増殖するようにしてセルが分かれ、新たなセルが立ち上がり、新たなリーダーが立てられて行くことが、主のみこころであって、神の国の働きです。セルグループの働きのためにお祈りください。
