週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

25.04.20 祝福を祈る


 
↓こちらをクリックすると週報全文を閲覧できます。
2025.04.20週報.pdf
 
「ピリピ4:23   主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」
 

祝福を祈れない

 冒頭のみことばは、パウロの祝福の祈りです。人の祝福を祈ることはすばらしいことです。しかし私たちにはそれがなかなかできません。人の幸せや成功を見て、口では「よかったですね。すばらしいですね。」と祝福のことばを述べながら、心の底には妬む気持ち、素直に喜べない気持ちが潜んでいることに気づき、情けなく思うことが誰にでもあるのではないでしょうか。
 聖書の中でも、ヨセフの兄弟たちは、父ヤコブが特別にかわいがるヨセフに妬みを抱き、彼を外国の商人に売ってしまいましたし、サウル王は、家来であるダビデが自分より戦いに長けていたために妬み、彼を殺そうとしました。人は生まれながらの罪人であり、いくら「自分はそうなりたくない」と思っても、自分では決して変わることはできません。
 

キリストの恵みによって変えられる

 聖書は、「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。(ローマ12:15)」と勧めています。私たちがみこころにかなう者になるためには、「主イエス・キリストの恵み」によって生まれ変わらせていただくしかありません。主は、どこまでも自己中心で、真に愛することなど少しもできない私たちの罪の身代わりとなって、十字架に架かって死に、よみがえってくださいました。そのようにして、信じる者の罪を一つ残らず赦してくださり、罪の束縛から解放してくださいました。また、信じる者のうちに住まわれて、その人が愛そうとすることを助けてくださり、さらにあらゆる病と煩い、そして死の恐れからも、完全に解放してくださいました。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。(イザヤ53:4)」
 主イエス・キリストの十字架の恵みゆえに、私たちの心は癒やされ、全き平安のうちに、生きることができるようにされました。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。(同53:5)」。主が、ご自分のいのちを犠牲にしてくださるほどに愛してくださったことを知った私たちは、その愛によって「私もほかの人を愛したい」と願う者に変えられました。神様のすばらしいみわざを感謝します。
 

祝福を祈れるようにされた

 私は救われる前、人を愛することができませんでした。心の中には平安がなく、人を妬む思いやさばく思いでいっぱいでした。人は、人を愛することをしなければ破滅に向かっていきます。ついに家族が崩壊しそうになった時に、イエス様の十字架の愛を知りました。イエス・キリストを信じてこんなにも深い罪が赦されたことを知り、「主と同じように愛したい」と願う者に変えられました。そして不完全ながらも、人の祝福のために祈ることができるようになりました。自分では絶対にできなかったことでした。主の十字架の恵みを感謝し、御名をほめたたえます。
 

あなたがたの霊とともにあるように

 パウロは、主の恵みが「あなたがたの霊とともにありますように。」と祈りました。キリストがともにいてくださるならば、私たちは、何があっても速やかに平安を取り戻すことができます。主からの平安の中で、自由に人を愛して生きることができます。ですから、私たちの霊(心)がいつもキリストの恵みで満ちあふれていることが大切です。主の十字架の恵みに感謝して、いつも主をほめたたえて参りましょう。「あなたの恵みは  いのちにもまさるゆえ  私の唇は  あなたを賛美します。(詩篇63:3)」。(鈴木千史)       
               
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オイコス休暇感謝

 オイコス休暇の準備が、ご奉仕によって進められています。先週までに、グランドや体育室、見学場所の下見が行われました。
 兄弟姉妹とともに、のんびりと、また愛し合い仕えあって休暇を過ごす喜びを味わいましょう。是非ご参加ください。
 
4/29はリトリートでまったり
 
(以下は5/3~6の案内)


新美南吉記念館(5/3)
 
 

ミツカンミュージアム(5/3)
 
 

庄内緑地(5/5ソフトボール)
 
 

緑生涯学習センター(5/6卓球)
 
 
*参加費は、実費が必要です。詳細は、掲示板をご覧ください。

25.04.20 祝福を祈る
 


 
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「ピリピ4:23   主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」
 

祝福を祈れない

 冒頭のみことばは、パウロの祝福の祈りです。人の祝福を祈ることはすばらしいことです。しかし私たちにはそれがなかなかできません。人の幸せや成功を見て、口では「よかったですね。すばらしいですね。」と祝福のことばを述べながら、心の底には妬む気持ち、素直に喜べない気持ちが潜んでいることに気づき、情けなく思うことが誰にでもあるのではないでしょうか。
 聖書の中でも、ヨセフの兄弟たちは、父ヤコブが特別にかわいがるヨセフに妬みを抱き、彼を外国の商人に売ってしまいましたし、サウル王は、家来であるダビデが自分より戦いに長けていたために妬み、彼を殺そうとしました。人は生まれながらの罪人であり、いくら「自分はそうなりたくない」と思っても、自分では決して変わることはできません。
 

キリストの恵みによって変えられる

 聖書は、「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。(ローマ12:15)」と勧めています。私たちがみこころにかなう者になるためには、「主イエス・キリストの恵み」によって生まれ変わらせていただくしかありません。主は、どこまでも自己中心で、真に愛することなど少しもできない私たちの罪の身代わりとなって、十字架に架かって死に、よみがえってくださいました。そのようにして、信じる者の罪を一つ残らず赦してくださり、罪の束縛から解放してくださいました。また、信じる者のうちに住まわれて、その人が愛そうとすることを助けてくださり、さらにあらゆる病と煩い、そして死の恐れからも、完全に解放してくださいました。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。(イザヤ53:4)」
 主イエス・キリストの十字架の恵みゆえに、私たちの心は癒やされ、全き平安のうちに、生きることができるようにされました。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。(同53:5)」。主が、ご自分のいのちを犠牲にしてくださるほどに愛してくださったことを知った私たちは、その愛によって「私もほかの人を愛したい」と願う者に変えられました。神様のすばらしいみわざを感謝します。
 

祝福を祈れるようにされた

 私は救われる前、人を愛することができませんでした。心の中には平安がなく、人を妬む思いやさばく思いでいっぱいでした。人は、人を愛することをしなければ破滅に向かっていきます。ついに家族が崩壊しそうになった時に、イエス様の十字架の愛を知りました。イエス・キリストを信じてこんなにも深い罪が赦されたことを知り、「主と同じように愛したい」と願う者に変えられました。そして不完全ながらも、人の祝福のために祈ることができるようになりました。自分では絶対にできなかったことでした。主の十字架の恵みを感謝し、御名をほめたたえます。
 

あなたがたの霊とともにあるように

 パウロは、主の恵みが「あなたがたの霊とともにありますように。」と祈りました。キリストがともにいてくださるならば、私たちは、何があっても速やかに平安を取り戻すことができます。主からの平安の中で、自由に人を愛して生きることができます。ですから、私たちの霊(心)がいつもキリストの恵みで満ちあふれていることが大切です。主の十字架の恵みに感謝して、いつも主をほめたたえて参りましょう。「あなたの恵みは  いのちにもまさるゆえ  私の唇は  あなたを賛美します。(詩篇63:3)」。(鈴木千史)       
               
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オイコス休暇感謝

 オイコス休暇の準備が、ご奉仕によって進められています。先週までに、グランドや体育室、見学場所の下見が行われました。
 兄弟姉妹とともに、のんびりと、また愛し合い仕えあって休暇を過ごす喜びを味わいましょう。是非ご参加ください。
 
4/29はリトリートでまったり
 
(以下は5/3~6の案内)


新美南吉記念館(5/3)
 
 

ミツカンミュージアム(5/3)
 
 

庄内緑地(5/5ソフトボール)
 
 

緑生涯学習センター(5/6卓球)
 
 
*参加費は、実費が必要です。詳細は、掲示板をご覧ください。