週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

26.4.19 新しく造られた


 
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2026.4.19 週報.pdf
 
「Ⅱコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
 

新しくなる季節

 4月は年度が変わり、新しいものがスタートする季節です。新しい職場、新しい学校、新しいクラス、引っ越しで住居が新しくなった人もいることでしょう。特に環境が変わらないという人も、屋外に色とりどりの花が咲き、草木も芽吹く中で、なんとなく新しい気持ちになって、新しい目標を立てたくなる季節ではないでしょうか。
 新しい生活が始まれば、今まで使っていた古いものは使わなくなります。前の学校の制服や教科書などは片付けたり捨てたりして、新しい学校のものを使いますし、引っ越しをする人は、古い家具や物を処分して、新しい家にふさわしい家具や生活用品を揃えたりします。そのように準備して新生活をスタートしたことでしょう。
 

新しく造られた

 聖書には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」とあります。人生にはさまざまなできごとがあります。良いこともありますが、苦しみも同じくらい、あるいはそれ以上にあるかもしれません。「こうすればよかった」と後悔することもありますし、思い出すと恥ずかしくて「できることなら消してしまいたい」と思うできごともあります。しかしどんな人でも、キリストを自分の救い主として信じて受け入れるならば、「新しく造られた者」となれるのだという良い知らせです。
 救いというのは、罪からの救いです。聖書は、すべての苦しみの原因は人が生まれながらに持つ罪であると教えます。まず、造り主であられる神を認めないことが罪です。罪ある者は滅びなければなりません。そこで神様は、人を救い出すためにイエス・キリストを人の罪の罰の身代わりとしてくださいました。「新しく造られた」ということは、神を信じて罪が赦され、自分中心の古い生き方を捨てて、神様のみことばに従って生きる者に変えられたということです。「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」
 

古い生き方に戻っていないか

 信じて救われた私たちは幸いです。しかし、新しい職場や学校で当初感じた新鮮な気持ちも、日が経つと薄れていくように、日々の生活の中では、いつしか新しく造られた喜びを忘れていることがあります。人から何か言われて憤っていたり、仕事や勉強の失敗をくよくよと思い悩んでいたり、経済や健康の心配が頭から離れないのです。それは、古い生き方に戻ってしまっていることだと気づかなければなりません。
 イエス・キリストは、十字架の上ですべての煩いに勝利してくださいました。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。(イザヤ53:5)」。心の中に湧いてくる古い思いや考えは放っておいて、「いつも喜んでいなさい」という神様からの新しい考え(みことば)に従うことが祝福への道です。
 

新しく造られた喜びをもって生きよう

 神様はどんな苦しみのときにも決して見捨てず、ともにいてくださるお方です。そしていつも一人ひとりに最善を起こしておられます。ですから何があっても、新しく造られた喜びを持って祈ることによって、私たちの心の中を神様のみことばで満たしていただきましょう。(鈴木千史)
 


 

告別式感謝

 先週の日曜日、夕刻から鈴木孝義兄弟(澤本姉妹のお兄さん)の告別式が、豊橋市の葬儀場で行われました。
 孝義兄弟は、今月はじめに自宅で倒れているのを姉妹が見つけ、肺炎などと診断され入院して治療を受けていました。今月10日夜に姉妹がお見舞いに行った際は病状が落ち着いていて、「イエス・キリストを救い主として信じますか」と尋ねると、呼吸が苦しい中、はっきりと「信じます」と答えられました。姉妹が「じゃ、牧師先生に言ってくるね」と言うと、「うん」とうなずいておられました。そしてその数時間後の翌日未明、穏やかに召天されました。兄弟のたましいが神様のみもとにあることを主に感謝します。残されたご家族の平安のためにお祈りください。

26.4.19 新しく造られた
 


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「Ⅱコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
 

新しくなる季節

 4月は年度が変わり、新しいものがスタートする季節です。新しい職場、新しい学校、新しいクラス、引っ越しで住居が新しくなった人もいることでしょう。特に環境が変わらないという人も、屋外に色とりどりの花が咲き、草木も芽吹く中で、なんとなく新しい気持ちになって、新しい目標を立てたくなる季節ではないでしょうか。
 新しい生活が始まれば、今まで使っていた古いものは使わなくなります。前の学校の制服や教科書などは片付けたり捨てたりして、新しい学校のものを使いますし、引っ越しをする人は、古い家具や物を処分して、新しい家にふさわしい家具や生活用品を揃えたりします。そのように準備して新生活をスタートしたことでしょう。
 

新しく造られた

 聖書には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」とあります。人生にはさまざまなできごとがあります。良いこともありますが、苦しみも同じくらい、あるいはそれ以上にあるかもしれません。「こうすればよかった」と後悔することもありますし、思い出すと恥ずかしくて「できることなら消してしまいたい」と思うできごともあります。しかしどんな人でも、キリストを自分の救い主として信じて受け入れるならば、「新しく造られた者」となれるのだという良い知らせです。
 救いというのは、罪からの救いです。聖書は、すべての苦しみの原因は人が生まれながらに持つ罪であると教えます。まず、造り主であられる神を認めないことが罪です。罪ある者は滅びなければなりません。そこで神様は、人を救い出すためにイエス・キリストを人の罪の罰の身代わりとしてくださいました。「新しく造られた」ということは、神を信じて罪が赦され、自分中心の古い生き方を捨てて、神様のみことばに従って生きる者に変えられたということです。「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」
 

古い生き方に戻っていないか

 信じて救われた私たちは幸いです。しかし、新しい職場や学校で当初感じた新鮮な気持ちも、日が経つと薄れていくように、日々の生活の中では、いつしか新しく造られた喜びを忘れていることがあります。人から何か言われて憤っていたり、仕事や勉強の失敗をくよくよと思い悩んでいたり、経済や健康の心配が頭から離れないのです。それは、古い生き方に戻ってしまっていることだと気づかなければなりません。
 イエス・キリストは、十字架の上ですべての煩いに勝利してくださいました。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。(イザヤ53:5)」。心の中に湧いてくる古い思いや考えは放っておいて、「いつも喜んでいなさい」という神様からの新しい考え(みことば)に従うことが祝福への道です。
 

新しく造られた喜びをもって生きよう

 神様はどんな苦しみのときにも決して見捨てず、ともにいてくださるお方です。そしていつも一人ひとりに最善を起こしておられます。ですから何があっても、新しく造られた喜びを持って祈ることによって、私たちの心の中を神様のみことばで満たしていただきましょう。(鈴木千史)
 


 

告別式感謝

 先週の日曜日、夕刻から鈴木孝義兄弟(澤本姉妹のお兄さん)の告別式が、豊橋市の葬儀場で行われました。
 孝義兄弟は、今月はじめに自宅で倒れているのを姉妹が見つけ、肺炎などと診断され入院して治療を受けていました。今月10日夜に姉妹がお見舞いに行った際は病状が落ち着いていて、「イエス・キリストを救い主として信じますか」と尋ねると、呼吸が苦しい中、はっきりと「信じます」と答えられました。姉妹が「じゃ、牧師先生に言ってくるね」と言うと、「うん」とうなずいておられました。そしてその数時間後の翌日未明、穏やかに召天されました。兄弟のたましいが神様のみもとにあることを主に感謝します。残されたご家族の平安のためにお祈りください。