週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

24.12.15 思い煩わない方法


 
↓こちらをクリックすると週報全文を閲覧できます。
2024.12.15週報.pdf
 
「ピリピ4:6-7 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
 

杞憂

「杞憂」という故事成語があります。昔、杞の国(古代中国)のある人が、「いつか天が落ちて大地が崩れてしまうのではないか」と心配して、食事ものどを通らず夜も眠れなかったが、見かねた人が説得して安心させたという話から、心配する必要のないことをあれこれと心配することを、「杞憂」と言うようになりました。
 私たちは、天が落ちてくることを心配することはないとしても、日常生活の中で、「この物価高で家計は大丈夫だろうか」、「もしかしたらあの子に嫌われたかもしれない」、「この病は本当に治るのだろうか」などと心配したりします。そう言われて自分の心の中をのぞいてみれば、おそらくだれでも、何かしら思い煩っていることに気づくのではないでしょうか。
 

思い煩わない方法 

しかし、冒頭のみことばでパウロは、「何も思い煩わないで」と言っています。多くの人が経験しているように、思い煩いは次から次へと心にわきあがってきます。ですから「まったく思い煩わないことなど、本当にできるのだろうか」と思うかもしれません。それはパウロも十分承知だったことでしょう。ですから思い煩わない方法を教えています。
その方法は、「あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」です。次々とわきあがってくるわずらいを、全部神様に打ち明けなさい、というのです。「神様、今こんなことがあって、怒れてしょうがないんです。どうしたらよいでしょうか。」などと親しくお話するということです。そのとき大切なことは「感謝をもって」祈ることです。神様が、そのできごとを起こしてくださったことを感謝し、また祈りを聞いてくださることを感謝して祈るのです。そうすると、「すべての理解を超えた神の平安」が与えられて、キリストが私たちの心を守ってくださると教えています。
 

理解を超えた神の平安

ところで、「思い煩い」を表現するのに、聖書は「心が分裂する」という意味のことばを用いています。たとえば何かを決めようとする時、ああでもない、こうでもないと心が分裂して平安がなくなることがあります。私は最近、「両親に会いに行ってあげたい。だけど自分もやりたいことがある。どうしようか。」と思い悩んだことがありました。みこころはわかっているのに、自分に都合のよい方向に考えようとするので思い煩うことになります。しかしこの煩いを神様に申し上げると、神様はすぐに優先順位を示してくださいました。心が神様のみこころに統一されて、神様からの平安をいただき、心から喜んで仕えることができました。さらに、時間のない中、自分の用事も済ませることができました。理解(常識)を超えた平安をくださる主に感謝します。
 

主に親しく申し上げよう

ですから私たちは、毎日の生活の中で、悩むときも、憤るときも、迷うときも、すぐにその思い煩いを、感謝をもって神様に親しく申し上げて参りましょう。主はいつも私たちに一番よいことをしてくださっておられます。私たちの心が神様にまっすぐに向かう時、主は心に平安を与えて守ってくださいます。(鈴木千史)
 
 

キャロリング感謝

先週の日曜日に、円頓寺商店街でキャロリングが行われました。クワイヤーは新しいガウンを着て、コンサートで歌う曲の中から6曲を歌いました。数名の通りがかりの人も、立ち止まって聞き入っていました。キャロリングは本日と来週の日曜日にも行われます。5時前からはじめる予定です。応援をよろしくお願いします。

24.12.15 思い煩わない方法
 


 
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「ピリピ4:6-7 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
 

杞憂

「杞憂」という故事成語があります。昔、杞の国(古代中国)のある人が、「いつか天が落ちて大地が崩れてしまうのではないか」と心配して、食事ものどを通らず夜も眠れなかったが、見かねた人が説得して安心させたという話から、心配する必要のないことをあれこれと心配することを、「杞憂」と言うようになりました。
 私たちは、天が落ちてくることを心配することはないとしても、日常生活の中で、「この物価高で家計は大丈夫だろうか」、「もしかしたらあの子に嫌われたかもしれない」、「この病は本当に治るのだろうか」などと心配したりします。そう言われて自分の心の中をのぞいてみれば、おそらくだれでも、何かしら思い煩っていることに気づくのではないでしょうか。
 

思い煩わない方法 

しかし、冒頭のみことばでパウロは、「何も思い煩わないで」と言っています。多くの人が経験しているように、思い煩いは次から次へと心にわきあがってきます。ですから「まったく思い煩わないことなど、本当にできるのだろうか」と思うかもしれません。それはパウロも十分承知だったことでしょう。ですから思い煩わない方法を教えています。
その方法は、「あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」です。次々とわきあがってくるわずらいを、全部神様に打ち明けなさい、というのです。「神様、今こんなことがあって、怒れてしょうがないんです。どうしたらよいでしょうか。」などと親しくお話するということです。そのとき大切なことは「感謝をもって」祈ることです。神様が、そのできごとを起こしてくださったことを感謝し、また祈りを聞いてくださることを感謝して祈るのです。そうすると、「すべての理解を超えた神の平安」が与えられて、キリストが私たちの心を守ってくださると教えています。
 

理解を超えた神の平安

ところで、「思い煩い」を表現するのに、聖書は「心が分裂する」という意味のことばを用いています。たとえば何かを決めようとする時、ああでもない、こうでもないと心が分裂して平安がなくなることがあります。私は最近、「両親に会いに行ってあげたい。だけど自分もやりたいことがある。どうしようか。」と思い悩んだことがありました。みこころはわかっているのに、自分に都合のよい方向に考えようとするので思い煩うことになります。しかしこの煩いを神様に申し上げると、神様はすぐに優先順位を示してくださいました。心が神様のみこころに統一されて、神様からの平安をいただき、心から喜んで仕えることができました。さらに、時間のない中、自分の用事も済ませることができました。理解(常識)を超えた平安をくださる主に感謝します。
 

主に親しく申し上げよう

ですから私たちは、毎日の生活の中で、悩むときも、憤るときも、迷うときも、すぐにその思い煩いを、感謝をもって神様に親しく申し上げて参りましょう。主はいつも私たちに一番よいことをしてくださっておられます。私たちの心が神様にまっすぐに向かう時、主は心に平安を与えて守ってくださいます。(鈴木千史)
 
 

キャロリング感謝

先週の日曜日に、円頓寺商店街でキャロリングが行われました。クワイヤーは新しいガウンを着て、コンサートで歌う曲の中から6曲を歌いました。数名の通りがかりの人も、立ち止まって聞き入っていました。キャロリングは本日と来週の日曜日にも行われます。5時前からはじめる予定です。応援をよろしくお願いします。