週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

26.1.25 しもべの信仰で生きる


 
↓こちらをクリックすると週報全文を閲覧できます。
2026.1.25 週報.pdf
 
「ルカ17:9-10 しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」
 

からし種ほどの信仰

 イエス様は弟子たちに、人が「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。(ルカ17:4)」と言われました。彼らは自分たちにはとてもできないと思い、「私たちの信仰を増し加えてください。(同5節)」と言いました。すると主は、「あなたがたに、からし種ほどの信仰があれば(同6節)」不可能なことはないと言われました。からし種はとても小さな種ですが、蒔かれれば大きな木に成長します。種は生きているからです。主は、信仰は大きさが問題なのではなく、小さくても信仰が生きているならばできないことはないのだと、弟子たちに教えられました。
 

生きている信仰

 では、生きている信仰とはどんなものでしょうか。主はしもべのたとえを話されました。「しもべが畑仕事をして野から帰ってきたら、主人は彼に『さあこちらで食事をしなさい』とは言いません。『さあ私の夕食の用意をして給仕をしなさい』と言うでしょう。キリストのしもべであるあなたがたも、主に命じられたことを行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい」と主は語られました。
 しもべとは奴隷のことです。しもべは自分の意見を持ちません。「とてもできない」と思うことでも、自分の意見を捨てて主に服従するのが、生きている信仰です。そのようにして主のしもべになるならば、根を深く張る桑の木に命じて、海に移すこともできるのだ、と主は言われました。主ご自身が、しもべの信仰を管として働いてくださるからです。それとは反対に、死んでいる信仰とは、「とてもできない」という自分の意見を押し通すことです。信仰の管がないので、主はその人に働くことができません。
 

死んでいる信仰だった

 私は説教の奉仕において、しもべの信仰がありませんでし
た。みことばが何を語っているのか、神から語られた自分の考えを持つように、またその考えを自分のことばで語るようにと、いつもアドバイスを受けていましたが、自分には「とてもできない」と考えて、いつも途中であきらめていました。練習の仕方など、何回も同じアドバイスを受けるたびに、「すみません、やめてしまっていたのでまた始めます」と謝っても、また「自分には向いていない」など考えて逃げていました。死んでいる信仰でした。
 このみことばから、自分は主の命令に少しも服従しようとしていなかったことに気づかされて悔い改め、少しずつ自分の考えをことばにすることをしようとしていったときに、考えをことばにするということが、少しずつわかってきました。そのときに主から「『私は取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい」と語られました。へりくだって主に服従していきたいと思います。
 

主のしもべとなろう

 日常生活の中ではいろいろな問題がありますが、神様に不可能なことは何もありません。主のしもべとなって歩んでいきましょう。(鈴木千史)
 


 

司会、奏楽、音響映像奉仕者のミーティングの紹介

 教会では月に1回、「司会、奏楽、音響映像奉仕者ミーティング」が行われています。礼拝に参加される方が、より恵まれて神様に礼拝をささげることができるように、礼拝の奉仕者が集まって、礼拝の改善点を挙げて解決策を話し合います。たとえば、礼拝のメッセージや賛美(司会の歌と奏楽)の音声が、会場にいるすべての人にしっかりと心地よく聞こえるように、音響をより良いものに改善していきます。また、遠方で配信で礼拝を捧げる人のために、映像や音響をより良いものに改善していきます。
 先週の日曜日のミーティングでは、(奏楽の音を奏楽者が聞くために)楽器の近くに置いてあるモニターから出る音が、もっと聞きやすくなるにはどうしたらよいかを話し合いました。また、メッセージの途中で、LEDビジョンの画面に聖歌の歌詞を素早く表示するにはどうしたよいかを話し合いました。
 ミーティングではいつも、奉仕者自身が良い礼拝者となるように教えられています。働きのためにお祈りください。

26.1.25 しもべの信仰で生きる
 


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「ルカ17:9-10 しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」
 

からし種ほどの信仰

 イエス様は弟子たちに、人が「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。(ルカ17:4)」と言われました。彼らは自分たちにはとてもできないと思い、「私たちの信仰を増し加えてください。(同5節)」と言いました。すると主は、「あなたがたに、からし種ほどの信仰があれば(同6節)」不可能なことはないと言われました。からし種はとても小さな種ですが、蒔かれれば大きな木に成長します。種は生きているからです。主は、信仰は大きさが問題なのではなく、小さくても信仰が生きているならばできないことはないのだと、弟子たちに教えられました。
 

生きている信仰

 では、生きている信仰とはどんなものでしょうか。主はしもべのたとえを話されました。「しもべが畑仕事をして野から帰ってきたら、主人は彼に『さあこちらで食事をしなさい』とは言いません。『さあ私の夕食の用意をして給仕をしなさい』と言うでしょう。キリストのしもべであるあなたがたも、主に命じられたことを行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい」と主は語られました。
 しもべとは奴隷のことです。しもべは自分の意見を持ちません。「とてもできない」と思うことでも、自分の意見を捨てて主に服従するのが、生きている信仰です。そのようにして主のしもべになるならば、根を深く張る桑の木に命じて、海に移すこともできるのだ、と主は言われました。主ご自身が、しもべの信仰を管として働いてくださるからです。それとは反対に、死んでいる信仰とは、「とてもできない」という自分の意見を押し通すことです。信仰の管がないので、主はその人に働くことができません。
 

死んでいる信仰だった

 私は説教の奉仕において、しもべの信仰がありませんでし
た。みことばが何を語っているのか、神から語られた自分の考えを持つように、またその考えを自分のことばで語るようにと、いつもアドバイスを受けていましたが、自分には「とてもできない」と考えて、いつも途中であきらめていました。練習の仕方など、何回も同じアドバイスを受けるたびに、「すみません、やめてしまっていたのでまた始めます」と謝っても、また「自分には向いていない」など考えて逃げていました。死んでいる信仰でした。
 このみことばから、自分は主の命令に少しも服従しようとしていなかったことに気づかされて悔い改め、少しずつ自分の考えをことばにすることをしようとしていったときに、考えをことばにするということが、少しずつわかってきました。そのときに主から「『私は取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい」と語られました。へりくだって主に服従していきたいと思います。
 

主のしもべとなろう

 日常生活の中ではいろいろな問題がありますが、神様に不可能なことは何もありません。主のしもべとなって歩んでいきましょう。(鈴木千史)
 


 

司会、奏楽、音響映像奉仕者のミーティングの紹介

 教会では月に1回、「司会、奏楽、音響映像奉仕者ミーティング」が行われています。礼拝に参加される方が、より恵まれて神様に礼拝をささげることができるように、礼拝の奉仕者が集まって、礼拝の改善点を挙げて解決策を話し合います。たとえば、礼拝のメッセージや賛美(司会の歌と奏楽)の音声が、会場にいるすべての人にしっかりと心地よく聞こえるように、音響をより良いものに改善していきます。また、遠方で配信で礼拝を捧げる人のために、映像や音響をより良いものに改善していきます。
 先週の日曜日のミーティングでは、(奏楽の音を奏楽者が聞くために)楽器の近くに置いてあるモニターから出る音が、もっと聞きやすくなるにはどうしたらよいかを話し合いました。また、メッセージの途中で、LEDビジョンの画面に聖歌の歌詞を素早く表示するにはどうしたよいかを話し合いました。
 ミーティングではいつも、奉仕者自身が良い礼拝者となるように教えられています。働きのためにお祈りください。