週報(主の御手)LORD'S HANDS

週報(主の御手)
LORD'S HANDS

25.07.27 熱心に祈りなさい


 
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2025.07.27週報.pdf
 
「ルカ11:8 あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。」
 

祈りを教えてください

 イエス様がある場所で祈っておられると、弟子の一人が「私たちにも祈りを教えてください。(ルカ11:1)」と求めました。そこでイエス様は、「祈るときには、こう言いなさい。(同2節)」と言われ、弟子たちに「主の祈り」を教えられました。「父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。(同2~4節)」。まず「天の父」に呼びかけて、すべてを支配しておられる神様をほめたたえ、それから自分の生活の必要のため、罪の赦しのため、誘惑や悪から救い出されるために祈りなさい、と「何を祈るべきなのか」教えてくださいました。
 

真夜中にパンを借りる人のたとえ

 続いてイエス様は、たとえ話を通して「どのように祈るべきなのか」、教えられました。(同5-8節)「あなたがたのうち誰かが、真夜中に友だちのところに行き、『友よ、パンを三つ貸してくれないか』と言ったとします。友だちは『面倒をかけないでほしい。もう寝てしまったので、起きて何かをあげることはできない。』と言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、『友だちのしつこさのゆえなら(同8節)』必要なものを何でもあげるでしょう。」。
 このたとえは、神様と私たちとの関係をあらわしています。友だちと言えども、真夜中に何かを頼めるのは、よほど信頼関係があってのことです。「神様は私たちを愛し、必要を満たしてくださるお方なのだから、しつこく、熱心に祈りなさい、祈りは聞かれるのだと」と教えています。
 

熱心に祈っているか

 私たちは一人ひとり願いがあります。「もっと豊かでゆとりがある生活がほしい」「病が癒やされて、健康になりたい」「希望の学校や会社に合格したい」「自分の特技を生かせる仕事がしたい」「幸せな家庭を築きたい」「家族が救われてほしい」などです。何回かは祈ったことがあっても、しつこく熱心に祈り続けているかと問われると、「祈っても聞かれない」と、あきらめてしまったり、祈りが途切れていたりしたことに気づくのではないでしょうか。
 主はたとえ話の最後に、「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。(同9節)」と言われました。主は私たちに、「もう一度祈り始めなさい」と励ましておられます。
 

良いものを与えてくださる主

 主は「あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。(同13節)」と言われました。主は私たちに良いものを与えたいと願っておられます。私たちを愛し、必要を満たしてくださる天の父に、私たちの願いを、熱心にしつこく祈り求め続けて参りましょう。(鈴木千史)
 
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キャンプ感謝

 先週の木、金曜日に、リトリートハウスでキャンプが行われました。開始礼拝では、「心を尽くして、神と兄弟姉妹を愛しましょう。すすんで愛するときがくつろげる時です」とみことばが語られました。みんなで協力してテントやタープなどを設営し、準備が整うと、子どもたちはさっそくプールに飛び込んではしゃいでいました。また、皆で川へ出かけて泳いだり、魚を取ったりと水遊びを満喫していました。日中もテントの下の涼しい日陰で、食事や交わりをのんびり楽しみました。近くの講堂に移動して、ボッチャ大会も行われました。二日間心を尽くして過ごし、最高にくつろいだキャンプとなりました。

25.07.27 熱心に祈りなさい
 


 
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「ルカ11:8 あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。」
 

祈りを教えてください

 イエス様がある場所で祈っておられると、弟子の一人が「私たちにも祈りを教えてください。(ルカ11:1)」と求めました。そこでイエス様は、「祈るときには、こう言いなさい。(同2節)」と言われ、弟子たちに「主の祈り」を教えられました。「父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。(同2~4節)」。まず「天の父」に呼びかけて、すべてを支配しておられる神様をほめたたえ、それから自分の生活の必要のため、罪の赦しのため、誘惑や悪から救い出されるために祈りなさい、と「何を祈るべきなのか」教えてくださいました。
 

真夜中にパンを借りる人のたとえ

 続いてイエス様は、たとえ話を通して「どのように祈るべきなのか」、教えられました。(同5-8節)「あなたがたのうち誰かが、真夜中に友だちのところに行き、『友よ、パンを三つ貸してくれないか』と言ったとします。友だちは『面倒をかけないでほしい。もう寝てしまったので、起きて何かをあげることはできない。』と言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、『友だちのしつこさのゆえなら(同8節)』必要なものを何でもあげるでしょう。」。
 このたとえは、神様と私たちとの関係をあらわしています。友だちと言えども、真夜中に何かを頼めるのは、よほど信頼関係があってのことです。「神様は私たちを愛し、必要を満たしてくださるお方なのだから、しつこく、熱心に祈りなさい、祈りは聞かれるのだと」と教えています。
 

熱心に祈っているか

 私たちは一人ひとり願いがあります。「もっと豊かでゆとりがある生活がほしい」「病が癒やされて、健康になりたい」「希望の学校や会社に合格したい」「自分の特技を生かせる仕事がしたい」「幸せな家庭を築きたい」「家族が救われてほしい」などです。何回かは祈ったことがあっても、しつこく熱心に祈り続けているかと問われると、「祈っても聞かれない」と、あきらめてしまったり、祈りが途切れていたりしたことに気づくのではないでしょうか。
 主はたとえ話の最後に、「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。(同9節)」と言われました。主は私たちに、「もう一度祈り始めなさい」と励ましておられます。
 

良いものを与えてくださる主

 主は「あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。(同13節)」と言われました。主は私たちに良いものを与えたいと願っておられます。私たちを愛し、必要を満たしてくださる天の父に、私たちの願いを、熱心にしつこく祈り求め続けて参りましょう。(鈴木千史)
 
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キャンプ感謝

 先週の木、金曜日に、リトリートハウスでキャンプが行われました。開始礼拝では、「心を尽くして、神と兄弟姉妹を愛しましょう。すすんで愛するときがくつろげる時です」とみことばが語られました。みんなで協力してテントやタープなどを設営し、準備が整うと、子どもたちはさっそくプールに飛び込んではしゃいでいました。また、皆で川へ出かけて泳いだり、魚を取ったりと水遊びを満喫していました。日中もテントの下の涼しい日陰で、食事や交わりをのんびり楽しみました。近くの講堂に移動して、ボッチャ大会も行われました。二日間心を尽くして過ごし、最高にくつろいだキャンプとなりました。